ども、ゾッとした岡田達也です。

 

 

 

新しい元号が『令和』に決まった。

 

 

正直、そんなに興味はない。

というか、どちらかというと若干気が重かったりする。

 

ただでさえ物覚えの悪い人間なのだ。

 

今が西暦何年なのか?

平成で言うと何年なのか?

 

いつだって書類に書き込む前に

「今は何年だっけ?」

と頭を抱えて悩んでいるような人間に

さらに覚えなければならない数字が増えるというのは課題が増えたようで気が重い。

(平成を忘れれば良いとか、そういう問題ではないんです)

 

まぁ、僕も大人だ。

そこは頑張って対応して生きていこうと思う。

 

 

問題は別にある。

 

 *

 

昨日の夕方、テレビを見ていた。

20代前半の、女の子二人組がインタビューを受けていた。

 

彼女たちは笑いながらこう言った。

「絶対、令和生まれの子たちに、「平成生まれのおばちゃん」って言われるのが目に見えてるから、そう呼ばれないようにがんばります! キャハハハ(笑)」

 

……

……

 

おいおい

発言に気をつけろよ

 

つ~か

おまえさんたち、帰り道、気をつけろよ

昭和のおじさん・おばさんたちが黙っちゃいね~ぞ

 

 

冗談はさておき

まぁ、彼女たちが言いたいこともわかる。

 

昭和43年生まれの僕にとって

『明治』生まれの人は、全員“おじいちゃん・おばあちゃんという印象”だったし

(実際に僕の祖父・祖母は明治の人です)

 

そして、ここが、僕の脳みその恐ろしいところだが

僕にとっては

『昭和』生まれの人が“バリバリの現代人”で

『平成』生まれの人は“まだまだお子様”

といったイメージがある。

 

この「自分を中心とした相関図」がどうしても頭の片隅にあって、いつまで経ってもその図形は変わらなかった。

 

でも、実は、これは僕だけじゃなくーー

 

きっとインタビューを受けた彼女たちも同じで

だからこそ「令和から見れば平成はおばちゃん」になるわけで

ってことは「令和から見れば昭和」は当然……

 

そう

僕が明治の人を見ていたのと同じように

「おじいちゃん、おばあちゃん」

……ということになる。

 

うひょひょひょひょ

そんな時代になったかよ

 

 *

 

とても不謹慎なことを書くが……

 

現在の皇太子殿下は僕より8歳年上だ。

もしも、僕より早く亡くなられた場合

僕はもう一度、元号の変化に立ち会うことになる。

 

そうなると

『令和』の次の元号になるであろう『達也』生まれの人から見て

(仮の話だからそんなにブーブー言うんじゃないよ)

 

『達也』生まれの人から見た『昭和』の人間とは

『昭和』生まれの僕から見た『慶應』の人間であり

 

つまりは

おじいちゃん・おばあちゃんなんて身近な存在を通り超え

 

江戸時代の人

つまり

歴史の教科書でしか触れることができない人たち

 

……ということになる。

 

 

ついに僕も歴史の1ページになる日が来たか

 

 *

 

すみません

与太話でした

 

 

 

では、また。