ども、千賀投手の161キロにシビレた岡田達也です。
プロ野球が開幕した。
もちろん、今年もホークスを応援していく。
かれこれ45年ほど応援している計算になる。
我ながら長く続いているなぁと思う。
そうそう
これからの人生の選択肢の一つとして
鳥取県知事になれなかったら、ホークスの監督も有りかと思い始めた。
……大丈夫だ
頼むから医者を呼ばないでくれ
自力でなんとかする
* *
「今日はプロ野球の開幕だなぁ」
父・隆夫さんが言った。
「そうだね」
「今年の阪神はどうかなぁ? いけるかなぁ?」
そうだった。
この人は“一応”阪神ファンだった。
選手の名前なんて数えるくらいしか知らないはずなのに、それでも阪神を応援している。
昔からそうだった。
僕が小学生の頃
鳥取で野球中継といえば日テレ系列で放送される巨人戦だけだった。
つまり、テレビに映るのは、巨人と、その相手チーム、という構造になる。
そして、巨人には、長嶋と王がいた。
そして、巨人は、強かった。
刷り込みに近い形で県民の98%の人間が巨人ファンだった。
残りの1%が阪神ファンで
残りの1%がその他のセ・リーグ球団
という円グラフが成立していた。
これはけっして鳥取だけに限られた話では無いと思う。
クラスメイトもみんな巨人ファンだった。
みんなみんな野球帽は巨人だった。
今だから言うが……
世間に流されやすい僕も巨人を応援したかった。
仲間はずれになるのもイヤだったし。
僕も巨人の帽子をかぶりたかったのだ。
だが。
「強い所を応援したらいけん。なんでもかんでも巨人、巨人って言いまわって。巨人はいけん。阪神にしんさい!」
……あぁ、今でも鮮明に思い出す
父は昔から
良く言えば「判官贔屓の人」
悪く言えば「ただの天の邪鬼」
な男だった。
父のその一言で、僕は巨人ファンへの道を閉ざされた。
かと言って、阪神はイヤだった。
なぜか?
「黄色が嫌いだった」のだ。
……
……
そんなもんですよ、子供なんて
何度も書くが
僕は
緑色が好きだったせいで南海ホークスを応援することになった。
それは実にくだらない
上に書いたような理由でしかなかったけど
それが45年も続いているなんて、今となっては父に感謝している。
*
「BSでホークス戦やってるから観ても良い?」
「どうぞ、どうぞ、観んさいな」
「ありがとう」
「オマエはあれか? ホークスを応援しようるだか? 不思議だなぁ。なんでだ?」
……あんたのせいだよ
では、また。