ども、身を切る岡田達也です。
母・秀子さんは断捨離の名人だった。
というか、優しくておっとりした人ではあったが
同時に“僕以上にせっかち”という面を持っていたため
必要の無くなったものは遠慮なくバンバン捨てる人だった。
あと1年生きていたら、父・隆夫さんも捨てられていたかもしれない。
*
そんな断捨離の名人が、僕に関する物で大切に保管しておいてくれていた物が3つだけある。
・キャラメルボックス関連のグッズ
これは、まぁ、わかる。
・小学生から高校生までの通知表
これもなんとなくわかる
・小学5年生と6年生のときの作文
これは……
なぜなんだろう?
なぜ、この2年間の作文だけが残っているのか?
今となっては知る由もないが、とにかく僕は見つけてしまった。
想像してほしい
40年前の、自分の作文なんて。
そりゃ、もう、顔から火が出るほど恥ずかしい。
断っておくが、自分でタイムカプセルに入れたわけじゃないぞ。
机の引き出しにしまってあったのだ。
お母さん
これは何かの罰ですか?
*
とても恥ずかしいのだが、頑張って読み返してみた。
ビックリした。
今の自分と、脳内も、文章力も、驚くほど大差ないのだ。
「大差ない」
つまり
40年前から『達也汁』は誕生していたとも言えるし
言い換えれば
僕は40年前から語彙力も発想も着眼点も変わってないーー
つまり成長してないとも言えるのだ。
……
……
* *
死ぬほど恥ずかしいけど、今日から何作か紹介しようと思う。
* *
五年の反省
5-1 岡田達也
ぼくは、五年生になってから転校してきたので、始めは、この学校のことをしらなく心配だった。 ので、あまり積極的ではなかった。
良かったことは、勉強時間に熱中したら、最後までやったことが自分でも良いと思う。
悪かったことは、一年中ろうかを走ったこと。 よくまああきずに走ったと思う。 それから、教室であばれたこと。 よく、プロレスなんかして、あばれた。
希望として、できるだけろうかを走らないようにしたい。 学校内の中でも、ぶつかったら大変だから。 いろいろ、あばれないこと。 プロレスなんかしてたらけがをしてしまう。 もし、ろうかでプロレスをしていて、人が走ってきたらつまづき、こけてしまう。 こういう所をなおしたい。
僕は今でも後輩たちにプロレス技をかけるが、どうやらこの頃からその前兆はあったようだ。
……おまえ、プロレスラーになればよかったのにな
では、また。