ども、無名塾は受験したことない岡田達也です。
昨日のつづき。
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小学校5年か6年のときだった。
国語の授業で「自分の名前について調べる」という課題が出された。
これは漢和辞典の使い方をマスターさせるために、担任の田中先生が毎年行っている授業内容だった。
僕はぼんやりと
「これはおもしろいなぁ」
と思うのと同時に
「今年のクラスメイトは漢字の名前ばかりだから大丈夫だけど、ひらがなの子がいたらどうするんだ?」
と、余計な心配をしたことを覚えている。
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「達」
1 道が通ずる。どこまでも行き得る。とおる。
「四通八達・通達・闊達(かったつ)」
2 ゆきつく。届く。
「達意・伝達・送達・速達・通達・到達・配達・発達」
「也」
文末または文中で語勢を強める助字。
つまりは
「我が進む道がとおるなり」
とも読めるし
「我れの思いがとどくなり」
とも読める。
自分の名前の意味を初めて知った。
改めて、なんて意味のある、考えられた、良い名前なんだろうと思った。
……というようなことを作文用紙に書いて、田中先生に提出した。
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帰宅して。
僕はその興奮が収まらなかった。
祖母・愛子さんから聞かされていた
「(僕の母)秀子さんがどうしても付けたかった名前である」
「おばあちゃんがわざわざ出雲大社まで行って、3つの候補の中から、神主さんに選んでもらったものである」
その話の上に、この名前の意味……
あぁ
ますますもって
ありがたや
ありがたや
この名前大切にします
僕はそんな気持ちで、秀子さんに今日の授業の話をした。
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さて。
ここから先は僕の中に残っている記憶だ。
そしてその記憶は僕にとって鮮明だ。
なぜなら
あまりに驚いたので
成人してからも何度も何度も人に話したし
パンフレットの文章にも書いたことがある。
つまり、繰り返し語っていることによって
“僕にとって定番のマクラ“
みたいなものになっているからブレがないのだ。
もちろん
今もこの記憶は正しいと信じている。
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「あぁ、そう。そんな授業したの? 良かったね」
うん
まさか自分の名前にこんな意味があったなんて知らなかった
「私ね、仲代達矢さんが好きでね」
……え?
「いや、仲代さんというより「たつや」って名前の響きが、すごく好きだったの。とっても洒落てて」
……
「それに当時としては珍しい名前でね」
……
「だからその名前をいただいちゃった(笑)」
……
「でも、まんまじゃどうかと思って「矢」の字だけ変えたの」
おかあさん……
ウソでしょ?
ウソだって言ってくださいよ
なんすか、それ!!!
「いただいちゃった(笑)」じゃ無いっすよ!!!
ちょっと軽すぎませんか!!!
聞けば姓名判断もしてないみたいだし
ってことは
漢和辞典で知った「とおるなり」だの「とどくなり」の意味って後付けですか???
僕の、この感動は、どう処理すればいいんですか!!!!!
今、やり場のない切なさで小さな胸がイッパイです!!!!!
おぉぉぉがぁぁぁざぁぁぁんんんんん!!!!!
……
……
そうですか
仲代達矢さんですか
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僕はそれ以来、なんとなく仲代達矢さんを他人とは思えなくなった。
だって
彼が自分の名前のルーツなんだとすれば、そりゃ意識はする。
してしまう。
つづく