ども、無名塾は受験したことない岡田達也です。

 

 

 

昨日のつづき。

 

 *

 

小学校5年か6年のときだった。

国語の授業で「自分の名前について調べる」という課題が出された。

 

これは漢和辞典の使い方をマスターさせるために、担任の田中先生が毎年行っている授業内容だった。

 

僕はぼんやりと

「これはおもしろいなぁ」

と思うのと同時に

「今年のクラスメイトは漢字の名前ばかりだから大丈夫だけど、ひらがなの子がいたらどうするんだ?」

と、余計な心配をしたことを覚えている。

 

 *

 

「達」

1 道が通ずる。どこまでも行き得る。とおる。

  「四通八達・通達・闊達(かったつ)」

2 ゆきつく。届く。

  「達意・伝達・送達・速達・通達・到達・配達・発達」

 

「也」

文末または文中で語勢を強める助字。

 

つまりは

「我が進む道がとおるなり」

とも読めるし

「我れの思いがとどくなり」

とも読める。

 

自分の名前の意味を初めて知った。

改めて、なんて意味のある、考えられた、良い名前なんだろうと思った。

 

……というようなことを作文用紙に書いて、田中先生に提出した。

 

 *

 

帰宅して。

僕はその興奮が収まらなかった。

 

祖母・愛子さんから聞かされていた

「(僕の母)秀子さんがどうしても付けたかった名前である」

「おばあちゃんがわざわざ出雲大社まで行って、3つの候補の中から、神主さんに選んでもらったものである」

その話の上に、この名前の意味……

 

あぁ

ますますもって

ありがたや

ありがたや

 

この名前大切にします

 

僕はそんな気持ちで、秀子さんに今日の授業の話をした。

 

 *

 

さて。

 

ここから先は僕の中に残っている記憶だ。

 

そしてその記憶は僕にとって鮮明だ。

 

なぜなら

あまりに驚いたので

成人してからも何度も何度も人に話したし

パンフレットの文章にも書いたことがある。

 

つまり、繰り返し語っていることによって

“僕にとって定番のマクラ“

みたいなものになっているからブレがないのだ。

 

 

もちろん

今もこの記憶は正しいと信じている。

 

 *

 

「あぁ、そう。そんな授業したの? 良かったね」

 

うん

まさか自分の名前にこんな意味があったなんて知らなかった

 

「私ね、仲代達矢さんが好きでね」

 

……え?

 

「いや、仲代さんというより「たつや」って名前の響きが、すごく好きだったの。とっても洒落てて」

 

……

 

「それに当時としては珍しい名前でね」

 

……

 

「だからその名前をいただいちゃった(笑)」

 

……

 

「でも、まんまじゃどうかと思って「矢」の字だけ変えたの」

 

おかあさん……

 

ウソでしょ?

ウソだって言ってくださいよ

 

なんすか、それ!!!

「いただいちゃった(笑)」じゃ無いっすよ!!!

ちょっと軽すぎませんか!!!

 

聞けば姓名判断もしてないみたいだし

ってことは

漢和辞典で知った「とおるなり」だの「とどくなり」の意味って後付けですか???

 

僕の、この感動は、どう処理すればいいんですか!!!!!

 

今、やり場のない切なさで小さな胸がイッパイです!!!!!

 

おぉぉぉがぁぁぁざぁぁぁんんんんん!!!!!

 

……

……

 

そうですか

 

仲代達矢さんですか

 

 *

 

僕はそれ以来、なんとなく仲代達矢さんを他人とは思えなくなった。

 

だって

彼が自分の名前のルーツなんだとすれば、そりゃ意識はする。

してしまう。

 

 

 

つづく