ども、気分はエッセイストの岡田達也です。
昨日のつづき。
*
今のSA(サービスエリア)というのは
充実したフードコートと
広くてどこまでも続くトイレと
見晴らしの良い展望台と……
そんな風に「キレイで楽しめる場所」になっている。
だが
あのときの僕たちにとってのSAは
(S)死に物狂いで走り、
(A)雨風を受けながら、
ゆるんだ針金を締め直す場所、であって
フードコートで美味しいものを食べる場所でも
展望を楽しむ所でもなかった。
SAごとに
そしてPA(パーキングエリア)ごとに
僕たちは停車し
雨に打たれながら
幌が飛ばないように針金を点検し
走り続けた。
*
さて
人間というのは不思議なもので……
このときのことを上川隆也先輩と、今井義博くんと語り合ったのだが
僕らの記憶は
その「雨風に煽られ続けた東名高速」しか残っていない。
何時に名古屋を出て
何時に東京に到着したのか?
何回、停車したのか?
何を食べたのか?
何を話したのか?
まったく覚えていない。
3人とも記憶が曖昧なのだ。
確かなのは
5人だったこと
台風が直撃していたこと
今井くんが針金を拾ったこと
ノロノロ運転で東名高速を走ったこと
それしかない。
それほど
過酷で
熾烈な
道中だったのだ。
ただ
あの時間を共有できたことは一生の財産だし
今でもこうして笑って話すたびに「元を取ってるなぁ」と思う。
実際、僕の自伝的DVDである『プロジェクトT』でも、この件は大きく取り上げられている。
気がつけば
僕は明け方の青山円形劇場の駐車場で
運転席に倒れ込むように寝ていた。
無事に帰ることができたのだ。
*
先日の飲み会でたかやん先輩が言った。
「でも、オマエは良いじゃないか。東京の千穐楽で、達也と太朗ちゃん(近江谷太朗)は、黒子なのに役者と一緒に紹介されて。最後の最後に光を浴びたんだから。俺はそれをピンでフォローしていたんだぞ」
それを聞いて思い出した。
東京公演の直後、上川さんは僕にこう言ったんだった。
「やっぱり役者は舞台に立ってないとダメなんだよな」
おっしゃる通りだ。
*
どんな公演でも
多かれ少なかれ関われば
その人の経験値となり
反省材料となり
指針となる。
今井義博くんは役者をやめてしまったけど
今でも続けている上川隆也先輩と、僕にとっては
間違いなく、大きな大きな経験だったのかもしれない。
* *
長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。
もっと短くまとめようと思ってたんだけど、やっぱりボリュームが出ちゃいました。
でも、こうして書き留めておけて良かったです。
はっぱをかけてくださった先輩に感謝です。
おそらく……
数年後にまたこのことを書くかもしれません。
きっとその時は、中身が若干変わっている可能性があります。
でも、それで良いんです。
人の記憶ですから。
では、また。