ども、不安材料の岡田達也です。

 

 

 

母・秀子さんはいつも控えめな人だった。

 

目立つことを嫌い

前に出ることを嫌い

常に人の後ろに控えて

それでいて困った人に手を差し伸べる人だった。

 

15歳で看護学校に入学し

65歳まで看護の仕事に携わってきたのも

実に彼女らしいなぁと思う。

 

とにかく主義主張が強くないのは確かだ。

もちろん思うことはあっただろうけど

自分の意見よりも、いつだって他人の意志を優先する人だった。

 

 *

 

2012年の夏

母・秀子さんに癌が見つかった。

 

最初の開腹手術で、残念ながら腫瘍は切れなかった。

だけど余命宣告がなされたわけじゃない。

「これは長い付き合いになる」と担当の先生に言われ

それがどれほどの年月になるのか

僕にも母にもまったく想像ができないけど

とにかくその言葉を信じて頑張っていこう

……という結論になった。

 

 *

 

僕と秀子さんは仲が良かった。

よくしゃべる親子だった。

特に僕が実家を出てからは

帰省するたびに長話をした。

 

もちろんそれは癌が見つかった後も変わらなかった。

 

「私は死ねない」

 

それは秀子さんにしては珍しく強い口調だった。

そして繰り返した。

 

「少なくとも今は死ねない」

 

「今は?」

 

「そう」

 

「どうして?」

 

「だって! お父さんと、浩一と、あなたがいるのよ!」

 

「……」

 

「こんな心配事を抱えて死ねるわけない。今死んだら成仏できないわ(笑)」

 

そう言って

半分は冗談で

そして半分は本気で

呆れたように笑った。

 

秀子さんにしては珍しく、珍しく、本気の主義主張だった。

 

口は達者だが家のことは何もしない父・隆夫さんと

知的・身体障害を持つ兄・浩一くんと

フラフラと芝居を続けてしまっている僕と……

 

そりゃそうだな

これは不安しかないよな


 *

 

あれから一年。

 

お母さん

すべての不安は取り除けないかもしれないけど

それでも

僕とお父さんは

周りの人たちに助けられながら

不器用なスクラムを組んでなんとかやってますよ

 

 

……これでもダメですかね?

 

 

 

では、また。