ども、勝手に拝借の岡田達也です。

 

 

 

ちょっと長い拝借で申し訳ないのですが……

これ、糸井重里さんの『ほぼ日』の昨日のエッセイです。

 

 *

 

北海道の方から、こういうメールをいただきました。
「ほぼ日さんは今回の北海道の震災について、
感じること、思うことはないのでしょうかね?
東北の震災のように、津波があったり、
仙台のような大きな街が大きく被災しないと、
反応はないのでしょうかね? 
昨晩から通電して、やっと久しぶりに
ほぼ日を見れるようになって、
でもなんかがっかりした気持ちになりました‥‥。
ほぼ日は心の灯かと思っていましたが、
何事もなかったようにいつも通りなんですね。」
 

どうしていたらよかったのか、考えたのですが、
なかなか、ほんとにいい答えは見つかりませんでした。
 

(中略)

 

テレビも、新聞も、雑誌も、インターネットも、
その時時に起こった大きな災害を、取りあげます。
縁があれば、野球やサッカーのチームなどでも、
球団をあげてそれに手を貸す活動をすることと思います。
そして、個人が感じたり考えたりすることとは別に、
その災害をコンテンツとして取りあげないでいる
人や媒体もあります。
このメールをくださった方の「がっかりした気持ち」に、
まともに答えられる考えを、ぼくは持っていません。
どうするのが正解かについても、ほんとはわかりません。
すみませんとか謝るのも、ほんとはちがうと思います。
これまでもこれからも、こういう問題はあると思います。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ただね、いつもどおりをやっていくのはいつもの考えです。

 

 *

 

実は、ここ数日

自分の中でずっとモヤモヤしていた問題がこれでした。

 

北海道の地震があった日

日記の最後に、お見舞いの一言を載せようと用意したのですが

それが“なんとなく取って付けたような”印象を自分で受けてしまって

偽善的というか、形だけに見えてしまうのも嫌だなと思い削除したのです。

 

僕と糸井さんでは知名度が全然違うけど

それでも北海道にいらっしゃるキャラメルボックスのお客さんで

『達也汁』を読んでるという方がいるかもしれないし……

というのは頭にありました。

 

誰でも簡単に情報が発信できる今の世の中で

「お見舞いの言葉を口にしない」のは

もしかすると印象が悪いかもしれません。

実際、糸井さんにはそのような内容のメールが届いているわけだし。

 

 

僕にも正解はわかりません。

 

お見舞いの気持ちも本当だし

それを書いてないのも事実だし

そこには自分なりの理由があるし

だけど“他者とのズレ”は絶対に生まれてしまう。

 

「万人に受け入れられよう」

なんて思っていないけど

 

少なくとも僕は

「嫌われたり怒られたりするために書いている」

のではないから

 

糸井さんに届いたメールはなかなかズシリとくるものがありました。

(まぁ、僕宛ではないですけどね)

 

 *

 

長々とすみません。

ある意味で、これは僕の愚痴かもですね。

 

 

こうやって予期していない震災が起こるわけだから

「いつもどおりやっていく」のは意外と難しいことかもしれないけど

糸井さんの

「いつもどおりをやっていくのはいつもの考え」

が実践できたらいいなぁ、

なんて思ってます。

 

 

 

では、また。