ども、シンカーが得意だった岡田達也です。

 

 

 

夏の甲子園が始まっている。

 

 *

 

我が母校(鳥取工業高校)にも野球部はあった。

残念ながら甲子園に出場したことはないが

地方予選の応援には何度も駆けつけた。

 

僕のクラスメイトにも3人、野球部がいた。

 

金山くん(通称 きんじ)

小山くん(通称 さる)

前田くん(通称 プロまさ)

 

「なんでそんなあだ名なんだ?」という疑問は今は置いといてほしい。

 

こいつらは野球が大好きだった。

僕も高校球児ではなかったけど野球は大好きだった。

 

僕たちは休憩時間になると

わずか10分、15分の短い時間を利用して

廊下で野球を楽しんだ。

 

廊下だ。

長さはあるが、幅は狭い。

オマケに横は窓ガラス。

 

硬球や軟式でやれば、校舎の窓ガラスを壊して回ることになる。

僕たちは尾崎豊が好きだったが

だからといってそれを実践するほどの勇気はなかった。

 

投げるボールはピンポン球(通称 ピン球)。

バットは“製図の図面を入れるプラスチックのケース”。

 

僕たちは建築科だった。

授業で図面を描いた。

だから、みんな、ケースを持っていた。

これがバットには最適だった。

(……おいおい。それ、めっちゃ大切なもんだろ?)

 

ピンポン球はよく曲がった。

面白いように変化した。

それをバットで弾き返したときの快感。

投げるのも打つのも楽しく、僕たちは奇声をあげて盛り上がっていた。

 

 *

 

きんじはパワーヒッターだった。

なんせ我が校の4番バッターだ。

芯で捉えた打球はいつだって痛烈だった。

 

 *

 

きんじの打球がライナーで僕の横を通過していった。

 

そこに、廊下を曲がって、担任の竹本先生が現れた。

 

 *

 

竹本先生は駒沢大学の野球部出身で

(絶好調男・中畑清さんと同期)

我が校の野球部の部長も務めていた。

 

問題は……

この先生、鬼のように厳しい人だってこと。

 

いい先生だった。

優しい先生だった。

それは間違いないのだが、とにかく恐かった。

 

ガタイもいいし、声にも迫力がある。

教師でなければ間違いなくヤクザにしか見えない。

僕たちは在学中に何度ブッ飛ばされたことか。

その数はとてもじゃないが数えられない。

 

僕たちは先生のことを「親分」と呼んでいた。

 

 *

 

きんじの打球が、親分を直撃した。

 

「あっ……」

誰かの声が漏れた。

 

時が

止まった。

 

 *

 

そのあとのお仕置きはかなりキツいものだった。

 

が。

翌日からも

僕たちは

親分が通りそうにない廊下を選んで

野球を楽しんだ。

 

 

今でも不思議に思う。

 

次に見つかったら間違いなく殺される

そんな状況下でも野球をやろうという意気込み

いや、遊びたい欲の強さ。

 

今思い出しても笑ってしまう、懐かしい思い出。

 

 

……高校生の男子なんてそんなもんですよね?

 

 

 

では、また。