ども、当たるも八卦当たらぬも八卦の岡田達也です。

 

 

 

野球には「エース」と呼ばれる人たちがいる。

 

「エース」とは

言い換えれば「大黒柱」であり

もう少し噛み砕いて言えば「絶対的な存在」だ。

 

これ、不思議なもので

必ずしも「チームの勝ち頭」が「エース」というわけではない。

 

それに

「オレがエースだ!」と宣言したところで「エース」になれるわけでもない。

 

これは

監督

あるいは

チームメイト

もっと言えば

観客

それらの他者が認めた人にだけ「エース」の称号が与えられる。

 

それは個々の基準や価値観で決められるので

人によって「江川卓だ!」「いや、西本聖だ!」と

多少のズレがあったりするけど、それは大した問題じゃない。

(例えが古くて申し訳ない)

 

とにかく

“なろうと思ってなれるものではない”

……と考える。

 

 * *

 

芝居には「当たり役」と呼ばれるものがある。

 

「当たり役」とは

言い換えれば「はまり役」であり

もう少し噛み砕いて言えば「その役者が、その役を借りて、とても魅力的に観える」ってことだ。

 

これ、不思議なもので

「主人公を演じたから」といって、必ずしも「当たり役になる」というわけではない。

 

それに

「これはオレの当たり役だ!」といくら本人が言い張っても

悲しいかな、大いなる勘違いだったりすることもある。

 

これも

演出家

あるいは

共演者

もっと言えば

観客

それらの他者が認めた人にだけ「当たり役」の称号が与えられる。

 

付け加えるなら

「この人以外には考えられない!」とか

「他の人が演じても面白いだろうけど、やっぱりこの役者で観たい!」とか

そこまで思ってもらえたら、まさしく当たり役だと思う。

 

まぁ、これも個々の基準や価値観で決められるので

いくら僕が

「大森美紀子の『おばあちゃん』は本物だ!」とか

「近江谷太朗の『警部』は神がかっていた!」とか

「篠田剛の『月真和尚』をもう一度、彼で観たい!」とか

どんなに力説しても、すべての人に共感してもらえるとは思わない。

 

僕が勝手にそれらを「当たり役」と認識しているだけのことで。

 

ただ。

“しょせんお芝居、されどお芝居”なので

そう思わせてくれるなら、その方がいい。

 

たくさんそう思いたいし

そうすればたくさん人と語れるし

演劇なんて“そうやって楽しんでナンボ”みたいなところがあるし。

 

だから芝居を観る限りは

一つでも多くの当たり役を観たいなぁ、と思ってる。

 

 * 

 

んなこと書いておいてなんだけど

 

それは

キャスティングとか

タイミングとか

本人の努力とか

周囲の応援とか

偶然の一致とか

いろんな要素が絡まった上でしか生まれないので

鶏が卵を生むように量産できるものじゃない。

 

だからこそ

一つでも当たり役に出会えたら

それはとても幸せな演劇人生だと思う。

 

 *

 

『エンジェルボール』

本日、広島で大千穐楽を迎えます。

http://www.caramelbox.com/stage/angel-ball/hiroshima.php

 

 

これ

三浦剛の当たり役

……だと思います。

 

 

 

では、また。