ども、今は飲み屋の主人と鳥取県知事になりたい岡田達也です。

 

 

 

『無伴奏ソナタ』

昨日はオフ日。

なんだけれど、僕と筒井俊作は

長野県の高校生相手に、演劇のワークショップのお仕事が入っていた。

 

総勢30人ほどの高校生。

なんとも初々しい。

「舞台と客席」という関係だとそこまではわからないが

間近で見るとやっぱりまだ幼さを感じる。

 

始める前に訊いてみた。

「この中で、将来、プロの俳優になりたい人はいる?」

 

4人の生徒さんが手を挙げた。

 

 * *

 

僕が初めて“なりたい”と思った職業は「床屋さん」だった。

小学校に入る前くらいだったろうか。

 

髪の毛を切られているときの気持ちよさが好きだった。

ハサミが髪を切っているリズミカルな音も好きだった。

終わったあとにもらえるガムが楽しみだった。

 

でも、いつの間にかその思いは消えていた。

 

 *

 

次に憧れたのは「阪急電車の運転手」だった。

小学校の高学年だった。

親戚の家が、阪急沿線の総持寺(そうじじ)という駅にあったので、乗る機会が多かった。

 

あの小豆色のボディがなんともカッコ良かった。

座席シートの色に気品を感じた。

内装の木目調が好きだった。

“この電車を自分の手で動かしてみたい”と思った。

 

でも、「僕は鳥取の人間だしなぁ。大阪に行ってしまうのはどうなんだろう?」というような理由で、いつの間にか消えていた。

 

 *

 

次に憧れたのは調理師だった。

中学の時だった。

こどもの頃から鍵っ子で、自分で台所に立つ機会が多かったからだろう。

わりと料理が好きだった。

 

コックさんでも、板前さんでも良い。

自分で納得いくものを作って、人に食べてもらって、「美味しい」と言ってもらえたら幸せだろうなぁ

そんなふうに考えていた。

 

でも、明治生まれのおばあちゃんに

「板前になるなら中学を出て、すぐに修行にでないとダメだ」

と言われてしまった。

無目的ではあったが、せめて高校には行きたいと考えていた僕は断念した。

(当時、板前さんになるにはそういう道が一般的だったのです)

 

 * *

 

僕が高校生の時

なりたいものが無くなっていた。

 

昨日、手を挙げてくれた4人には、しっかりとした意思が感じられた。

それがとても羨ましかった。

 

多分「役者になる」のは簡単だ。

どこでもいい。

小劇場に出ている劇団と仲良くなって

そうこうしているうちに

いつの間にか舞台に立つようなる……

なんてのはよくある話だ。

 

だけど。

“これで食っていけるようになる”となると話は別だ。

それはそれはとても難しく

でも

それでこそ「プロ」と呼べる存在なんだろう。

倍率だけに限って言えば、プロ野球選手と変わらないくらい狭き門だ。

 

 

だから

「続けてればいつかはなれますよ」

なんて無責任なこと間違っても言えない。

 

どちらかといえば

「早く目を覚ましなさい」

と諦めさせたいくらいだ。

 

でもでも

その年齢で、ちゃんと意志を持って、なりたいと言えるものがある

というのがとても素敵なことで応援したくなる。

 

 * *

 

一体、どれだけの人が「自分のなりたいもの」になれた人なんだろう?

 

 

 

では、また。