ども、仕込み開始の岡田達也です。
『無伴奏ソナタ』
本日より劇場入り。
ってなわけで、昨日は荷出し。
音響、照明、制作、大道具、小道具……
すべての荷物を4tトラック2台に積み込むべく、劇団員はアリのようになって働く。
この荷積み作業のとき、僕の力は大いに発揮される。
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僕は大阪芸術大学を卒業し東京に来た。
担任の先生に勧められて「役者になる」という理由で上京したものの
実はそんなつもりは毛頭なく
2年ほどフリーターをやったら鳥取に帰ろうと思っていた。
だから住む家も探さないで、とりえず従兄弟の家に転がり込んだ。
仕事も適当な仕事を探した。
『吉祥寺』という響きに惹かれて
たったそれだけの理由で吉祥寺にある会社に入った。
ゲームセンターに基盤を配送し、取り付けるという仕事だった。
当然、取り付けてテストもする。
おかげで僕は『テトリス』というゲームがとても上手くなった。
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「なるつもりはないけど、一応、芝居は観ておこう」
そう思って働きながらいろんな芝居を観始めた。
と、芝居というやつは面白いものがたくさんあるということに気付いた。
半年ほど経った頃。
「絶対に絶対に俳優になんかなれるわけないけど、万が一、億が一、何かの間違いでその道に進むかもしれないぞ」
そんなことを考え始めた。
この時点で、少しだけ俳優業に興味を抱いていることがわかる。
「で、そうなった場合、舞台俳優はおそろしく貧乏だと聞いているので、あらかじめ貯金をしておく必要があるな。よし、何かもっと収入がある仕事に転職しよう。で、貯金しよう。そうしよう、そうしよう」
そこで見つけたのがベビー用品のリース会社で
2tトラックやら、ハイエースやらに荷物をたんまり載せて都内を走り回るドライバーになった。
それからキャラメルボックスに入団するまでの半年間で
僕は都内の道に詳しくなり
ベビーベッドやベビーカーにも詳しくなり
そして何より
トラックに荷物を上手に積み込む技術を身に付けた。
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僕は学生時代、演劇部ではなかった。
演劇の専門学校に行ったわけでもない。
ダンスも、発声も、学んでいない。
つまり、何の下地も身につけていない状態でこの世界に飛び込んだ。
だから、芝居に関しては周りの皆様に大いに迷惑をおかけした。
(岡田達也のデビュー当時を知っている方は記憶を抹消してください)
ただ。
唯一。
“公演のたびに積み込みがある”ってことで、僕はこの集団で生き残ることができた。
だって
テトリスが上手い
荷積みが上手い
こんな“トラックの荷台に必要な条件を満たしている人間”はなかなかいない。
(本当にテトリスの腕も関係あるのだろうか?)
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そう考えると
僕が吉祥寺の会社に入ったのも
ベビー用品の会社に入ったのも
すべては俳優になるための必然だった
……のかもしれない。
では、また。