ども、読み間違いはされたことがない岡田達也です。
高校の同級生
栂尾守是くん
読み方の正解は
「とがお もりゆき」くん。
お恥ずかしい話だが、入学したとき、僕はまったく読めなかった。
いやいや
みなさん、今
「おまえ、さぞかしバカだったんだろうな?」
って思ったでしょう。
断っておくけど、中学時代の僕の成績は、けっしてどん底だったわけではない。
自分で言うのも何だが
「中の上の下の中の下の中の中」
くらいの成績ではあった。
*
現在では大親友の栂尾くんだが
彼の名前を知るまでには、そこそこの時間を要した。
“クラスメイトの名前を知るのに何故時間がかかったのか?”
それは、そういう時代だった
としか言いようがない。
*
当時の中高生というのは
とっても背伸びしてて
とってもプライドが高くて
結果、とっても面倒な存在だった。
今思えば可愛らしいものだが
当時の僕たちの
“俺たち大人の階段上ってるけど、まっすぐ上るわけにはいかないんですよ。「敷かれたレールの上なんか歩いちゃダメ」だって尾崎豊も言ってるし、何なら彼は、校舎の窓ガラス壊してまわったり、盗んだバイクで走り出すくらいの寄り道は致し方ないお年頃だよ、とまで言ってるじゃないですか。ついでに金八先生でも言ってましたが、俺たちゃ腐ったミカンでもあるんですよ。同じダンボールに入れると危険ですぜ。他のミカンまでも腐らせてしまいますよ”
……みたいな尖り方をしていた。
(世代が違う方には何一つ伝わらないかもしれません。あしからず)
断っておくが、僕はヤンキーでも、ツッパリでも、硬派野郎でも、走り屋でもなかった。
普通の学生だった。
だけど、普通の学生ですら、ちょいと背伸びして生きていかないと、道を歩きにくかった。
ま、そういう時代だったのだ。
さらに。
僕が通っていた『鳥取南中学』というのが問題だらけの学校だった。
(現在はかなり優秀な中学だそうです)
具体的なことは書かないが、かなりハチャメチャな中学だった。
おかげで、近隣の中学から
「おい、あいつら南中だぜ。近寄るな」
ってな感じで敬遠されていた。
僕は鳥取工業高校建築科に入学した。
当然、いろんな中学から生徒が集まってきている。
高校の入学式から数日
南中から来た3人は周囲から敬遠されていた。
栂尾くんの名前には興味があるが
「名前、何て読むの?」
なんて聞こうものなら、一触即発の事態を招くかもしれない。
そんな警戒心もあって
彼の名前の正しい読み方を知るまでの間
僕は心の中で
「きははお もりこれ」
と呼んでいた。
あぁ
若気の至り……
名前くらい素直に聞こうよ
栂尾よ、ごめんな
変な名前で読んでて。
*
でもたまにいますよね
「え? この名前、なんて読むんだろう?」って人。
では、また。