ども、英語を10年学んだ岡田達也です。
『無伴奏ソナタ』
劇中、みんなで何曲か歌を歌う。
その歌の練習が昨日から始まった。
で、だ。
『無伴奏ソナタ』は「オースン・スコット・カード」という人が書いてることからわかる通り、日本のお話ではない。
アメリカだ
米国だ
USAだ
ってことはアメリカの歌であり
ってことは英語で歌わなければならない。
*
中学の時
薮田先生に英語を教わった。
この先生はとにかく不機嫌だった。
いや、ひょっとするとそんなことはなかったのかもしれないけど、今でもそういう印象しか残っていない。
それほど、常にしかめっ面で、竹の棒をビシビシと黒板に打ち付けて授業する先生だった。
そして。
先生の顔の形はデコポンによく似ていた。
しかも普通のデコポンじゃない。
立派なデコポンだ。
結果
僕は英単語を覚える代わりに、先生の似顔絵を描くことに夢中になった。
*
高校の時。
山本先生に英語を教わった。
この先生はいつでも機嫌が良かった。
それは良いのだが
鳥取弁の訛りがかなり強かったこと
それから歯が何本か無かったため息漏れが激しかったこと
それらが原因で、先生の読み上げる英語は、英語に聞こえない不思議な音となって僕の耳に届いた。
そして、ちょっと信じられない話だが……。
先生は校内の施設の中にプライベートヨットを所持していた。
かなり大きなヨットだった。
先生はそのヨットの手入れに夢中で、毎日、熱心に磨き上げていた。
僕たちもよく手伝わされていたものだ。
結果
僕は英単語を覚える代わりに
「なぜプライベートなヨットが学校に置いてあるのか?」
「なぜ学校側はそれを許可したのか?」
「このヨットはどこからどうやって運んできたのか?」
を考えることに夢中だった。
*
大学の時。
英語の先生の名前が思い出せない……。
確か英語は必須科目だったので選択はしているはずだし、こうして無事に卒業しているということは単位を取得しているはずだ。
だが。
授業の風景も、印象も、何も残っていない。
つまり
薮田先生や、山本先生のように
英語は覚えられなかったけど、同級生と会うたびに「あんな先生いたよな!」と笑って盛り上がれる、生涯忘れない先生との出会いも無かった
……ということだ。
僕は本当に授業に出席していたのだろうか?
*
昨日、譜面と歌詞を渡された。
そこには大量の英単語が並んでいた。
……
……
*
この日記を読んでくれている学生さんのために
明日の日本を担う若人のために
人生の先輩から一つだけアドバイスしておこう。
先生が不機嫌そうでも
先生がデコポンに似ていても
先生が訛っていても
先生がヨットに夢中でも
自分が授業に出なくて何とかなる環境でも
英語の授業は真面目に取り組んでおいたほうが良い。
英語がわからなくても生きていけるが
わかっている方が良い場面は思っていた以上にいっぱいあるから。
……逆の意味で説得力、あるだろ?
*
薮田先生、山本先生
お元気でしょうか?
その節はお世話になりました。
50歳の今、とても反省しています。
すみませんでした。
では、また。