ども、父親に飼いならされていた岡田達也です。

 

 

 

昨日の朝、鳥取を離れ岡山に移動した。

 

実は子供の頃、岡山の西大寺というところに住んでいたことがある。

 

これはあくまでも噂だが……

父・隆夫さんは岡山の建設省(現在の国土交通省)に勤めており、しかもそこそこのエリートだったそうだ。

 

ついつい僕が父のことを面白可笑しく書いてしまうので、ひょっとしたらみなさんには隆夫さんのキャラクターが歪んで伝わっている可能性も大いにある。

本人の名誉のために言っておくが、彼はとても頭が良い人なのだ。

学歴も、知識も、暗算のスピードも、達筆な文字も、何もかも僕の比ではない。

 

そのまま建設省に勤めて真面目に働いてくれていれば、岡田家の現在は全く違ったものになっていただろう。

少なくとも僕は、こんなイカれた日記を書いていなかったはずだ。

 

だが。

人生とはそうそう上手くいかない。

 

一体何があったのか?

 

その当時の話を隆夫さんに尋ねると「もうええが、そんな話は!」と言ったきり、完全に口を閉ざしてしまう。

仕方なく母・秀子さんに尋ねると途端に顔に斜線が入りながらも、重い口を少しずつ開いて聞かせてくれた。

なるほど、なるほど……

まぁ、すべての事情を理解したわけではないが、岡田家にとって“かなりの黒歴史”であることは間違いない。

 

いつの日か『岡田家歳時記』を書籍化するときに書き記そうと思う。

 

ちなみにその章のタイトルはこうだ。

「岡田家、岡山で沈没する」

 

 * * *

 

家族(あるいは家庭)には、それぞれ不思議なルール(あるいは決まりごと、あるいは習慣)がある。

 

僕が岡山に住んでいたのは3~5歳くらいのときだった。

当時、我が家には不思議な習慣があった。

晩御飯を食べて30分~1時間ほどすると、隆夫さんがインスタントラーメン(『チャルメラ』か『出前一丁』だった気がする)、あるいはインスタント焼きそば(『ジャンボ』っていう商品だった)を作って食べ始めるのだ。

 

もう一度おさらいしよう。

 

毎晩

晩御飯の直後に

必ずだ。

 

で、僕は、それをお裾分けしてもらい、いつも食べていた。

 

そして恐ろしいのは“それが当たり前だ”といつの間にか思い込んでいた。

 

……なんだ、そりゃ?

 

大きくなって、やっと、その行為の異常さに気付いた僕は秀子さんに聞いた。

「どうしてお父さんは晩御飯の直後にインスタントラーメンを食べていたの?」と。

 

母は苦笑いを浮かべ言った。

「そうなのよ! あれ、何でだったんだろうね? 私も不思議だったわ~。お腹空いてたのかな?(笑)」

 

いや

待て待て待て

笑うところじゃないぞ

 

晩御飯の直後だろ?

おかしいじゃないか

 

それ以前に、あなたの手料理を食べた後でしょ?

止めようと思わなかったのか?

 

「うん。だって、そうしたかったんだろうし。それにーー」

 

「それに?」

 

「あなたも喜んで食べてたじゃない(笑)」

 

「……」

 

お母さん

絶対にダメですよ

僕が親ならそんなこと許しませんけどね

 

 *

 

今でも忘れらなれない、岡山での不思議な思い出。

 

 

 

では、また。