ども、英語はからっきしな岡田達也です。

 

 

 

『スクアッド』

大阪公演、初日の幕が開いた。

 

劇場は『近鉄アート館』。

東京よりも舞台と客席との距離感がグッと縮まって、より小劇場感が増し、濃密な空気が作れたんじゃないか、と思う。

この劇場も大好きになった。

 

実はこの劇場で芝居をやるのは初めてだ。

 

 *

 

僕が初めてキャラメルボックスのオーディションを受けたとき

芝居があまりにド素人すぎるのと

ストッレチすら上手くできない身体の固さと

しゃべりだけが妙に上手くて世慣れた感じから「あいつはオカマじゃないか?」疑惑と

そんなこんなで見事に落選したのだが

「芝居では役に立たなくとも、小間使いとしてはイケるかも」

という加藤昌史社長の判断によって、僕は制作部として拾われた。

 

 

入団して初めて携わったのが『ナツヤスミ語辞典』(1991年)。

このお芝居の大阪公演が行われたのが近鉄アート館だった。

 

当時の仕事は

チケットの作成

(キャラメルボックスは完全オリジナルチケットを公演毎に作っていたのです)

顧客管理

(データ入力ですね)

仕込みバラシの際にはトラックの運転

(キャラメルボックスに入団する前は配送の仕事をしていたので役立ちました)

劇場での受付、客席案内、ケータリングの準備など

(人が少なかったので大変でした)

その他、使いっ走り全般、etc

何でも、本当に何でもやっていた。

 

 

ある日。

アート館で受付に入った。

当日券を求めるお客様の対応をしていた。

と……

外国人の女性の方(おそらくはアメリカ人と思われる)が僕の目の前にやってきた。

彼女は微笑みながら僕に言った。

「Please have a ticket」

 

え?

え?

本当に『ナツヤスミ語辞典』を観るのですか?

あなたの求める芝居であってますか?

字幕は出ませんよ?

片言でも良いから日本語で「チケットください」ならまだわかるけど、この芝居、結構なスピードで展開するお芝居なんで、日本語が全くのNGなら辛いかもしれませんぜ……

 

僕の頭の中には一瞬にしていろんな言葉が渦巻いた。

 

が。

それらはすべて日本語でしかなかった。

残念ながら僕の英語力などゴミみたいなものだ。

 

く、くそぅ

翻訳できないぜ

当日券の列も人が並んでいるのであまり時間は掛けられないし……

 

僕は手元に用意してあった「当日券の座席表」を彼女に見せた。

(舞台と客席が書き込まれていて、その日に販売できる席を赤くマジックで囲んであるもの。お客さんにはそれを見せて好きな席を選んでもらうシステムでした)

 

「あ~ でぃす いず ざ すてーじ」

 

僕は舞台を指を差しながら彼女に説明した。

んなことは言われなくても一目でわかるだろう。

だが、彼女はニッコリとして頷いてくれた。

 

次に客席を指差した。

 

「あ~ おーでぃえんす しーと」

 

うん。

たぶん、これも必要なかった。

見ればわかるだろう。

だが、彼女はニッコリとして頷いてくれた。

 

次に赤く囲ってある部分を指差した。

 

「ちょいす ちょいす」

 

案内しているという余裕はどこにもない。

ひたすら“伝わってくれ!”という思いだけである。

 

「ちょいす! ちょいす! ふろむ れっど!」

 

もはや懇願と言っていい。

 

「ちょいす! ちょいす! ふろむ れっど!」

 

僕はひたすら赤で囲ってある席をすべて指差し、その言葉を繰り返した。

 

言いたいことは多々ある。

が、話せる言葉が見つからないのだ。

何という語学力。

中・高・大と10年も英語を学んだのは幻だったんだろうか?

この場を借りて、高い授業料を払ってくださった母・秀子さんに誤りたい。

 

彼女はある一席を指差し微笑んだ。

どうやら気に入った席が決まったらしい。

 

そうだ。

言葉などなくても通じるのだ。

 

僕はなぜか小さくガッツポーズをした。

当日券を一枚売っただけなのに……

 

 

終演後。

ロビーに立っていると、彼女が僕を見つけて近寄ってきた。

 

僕は一瞬、身構えた。

 

彼女は流暢な日本語で言った。

「オモシロカッタデース! アリガトウゴザイマシタ!」

 

僕は思った。

「……え? 日本語話せるの? 何で最初は英語だったの?」

 

 *

 

あれから27年。

やっとこさ「でぃす いず ざ すてーじ」と指さした、あの舞台に立てた。

 

近鉄アート館の忘れられない思い出。

 

 *

 

あの外人さん、今でも芝居を観てるといいなぁ

 

 

 

では、また。