ども、関東人のちくわぶ好きの多さに驚く岡田達也です。

 

 

 

昨日、おでんを作った。

作ったと言ってもスーパーで売ってるパックのものだけど。

 

で、おでんを食べると必ず思い出すことがある。

 

 *

 

その昔。

社会のルールは、身内だけでなく、他人からも学ぶものだった。

 

例えば……

子供のころ銭湯で、怖いおじさんに「タオルを湯船に漬けるな」とか「浴室で走るな」とか言われたことがある。

少なくとも僕はその二つを見ず知らずのおじさんに教わった。

 

それと同じように、昔、屋台の親父さんに「一度口に入れたものは出すな」と教えられた。

 

そんな当たり前のことを、22歳のとき言われた。

本当に恥ずかしかった。

 

 *

 

「芝居をやる」という名目で、大学を出て東京に来た。

ま、俳優になんかなれるわけない。

さておき、とりあえず食べていかなくてはならない。

僕は吉祥寺の小さな会社で働き始めた。

 

ある日。

会社帰り、駅に向かって歩いていると、井の頭線の高架下あたりに、一軒の屋台が出ていた。

そこには赤ちょうちんで「おでん」と書かれていた。

 

こ、これは!

子供のころから憧れていた!

幻のおでん屋台じゃないか!

 

自分でも不思議なほど屋台が好きだ。

僕にとって「屋台で飲む」という行為は、大人だけに許される特権行為に映る。

「非衛生的だ」と言う人もいるけど、んなことはどうでもいい。

僕には「あそこで酒を飲むという行為が大人っぽくて実にカッチョいい」という感覚のほうが優先される。

 

鳥取でも、大阪でも見たことなかった。

幻のおでん屋台。

これは間違いなく「おでん屋台デビューしなさい」という神のお告げに違いない。

 

いつだって背伸びして

少しでも大人に近付こうとしてきた男は

迷わず小さな暖簾をくぐった。

 

無愛想そうな親父がそこに立っていた。

それでいい。

いや、それがいい。

愛想なんていらない。

今で例えるなら『深夜食堂』の小林薫さんくらいな香りがする。

ちょうどいい。

(以後、薫さんと表記する)

 

薫さんは言った。

「何にしましょう?」

 

僕はバリバリのビール党なので、最初はビールが飲みたかった。

冷たい炭酸で喉を潤したかった。

が、背伸びしなければ。

せっかくの屋台デビュー戦なのだ。

ここは黙って熱燗だろう。

「燗で」

僕は注文した。

 

もしも

もしも逆の立場で

僕が店の親父なら

22歳の若造が「燗で」とかクソ生意気なことを言いやがったら、熱々のはんぺんを顔に投げつけて追い返すところである。

しかし、薫さんは黙って燗酒の準備を始めた。

 

そしてネクストの

「何、いきましょう?」

がきた。

 

きた

この感じ

このやり取り

 

会社帰りに

一人

屋台で

店の親父と向かい合って

おでん鍋を見ながら食べたいものを選ぶ

 

あぁ、俺って大人になったんだ……

 

しみじみと感動した。

 

まずは定番からだろう。

「大根と、玉子と……」

と、そこに見たことない白っぽいものが浮かんでいた。

 

「ん? これは何ですか?」

 

「ちくわぶだよ」

 

「ちくわぶ?」

 

何だ、ちくわぶって?

竹輪じゃないの?

鳥取でも大阪でも見たことも食べたこともないぞ。

 

想像だけど……

これはきっと、ナルト的なものなんじゃないか?

少なくとも竹輪の親戚的な食べ物だろう。

だって名前が「ちくわぶ」だぞ。

それ以外はありえない。

僕は練り物が大好きなので、絶対に好物のはずだ。

「じゃぁ、ちくわぶも」

 

熱燗とおでんが並んだ。

 

酒をチビリと飲む。

味なんか二の次だ。

雰囲気だけでウマい。

 

そして噂のちくわぶを一口かじった。

次の瞬間……

「あべべべべべべべべべべ」

(↑まったく正確ではありません)

みたいな音を発しながら僕はちくわぶを口から出してしまった。

 

人間の勝手な想像力はすごい。

思っていたものと違った瞬間のショック。

いや、恐怖と言っていい。

練り物だと思っていたのに、小麦粉の固まりだった瞬間

脳がパニックを起こしたのだ。

 

薫さんは静かに言った。

「熱かったか? でもな、一度口に入れたものは出すんじゃないよ」

 

「……はい」

 

 *

 

以来、僕はちくわぶを食べていない。

当然、僕が作るおでんにはちくわぶは入らない。

小麦粉は大好きだが、あの経験が完全にトラウマになっている。

 

そして。

以来、僕は口に入れたものはどれだけ熱くても出さないようにしている。

 

 

 

では、また。