ども、目にしないと何も理解できない岡田達也です。

 

 

 

『アンフェアな月』

昨日は「止め通し」をやってみた。

 

「止め通しとはなんぞや?」って方もいらっしゃるだろう。

これ、おそらくは演劇用語だと思われる。

「何回か止めながら、とにかく頭から最後までやってみる」

というなかなかの荒技だ。

 

これが僕のようなタイプの人間には助かる。

 

 *

 

僕という人間はみなさんご存知の通り“物事を熟考”しない。

何事も深く考えない。

(……よく今まで生きてこられたな)

 

なので台本を読むときも

思考型の俳優さんのように、深く深く読み取ろうとしない。

(……俳優やめるか?)

 

ま、ま、ま

こう書くと職務怠慢みたいに聞こえるかもしれないけど、そうではなくて。

 

僕のような人間が

いきなり深読みしようとすると

本来の意味合いを誤読してしまうことが多いのだ。

 

一度、解釈を誤ると、そこから抜け出すのには時間がかかる。

こう言っちゃなんだが

役者なんて、みんなそこそこ頭が固い。

だから、僕は脚本を、フラットに、フラットに、読む。

とくに初見のときは平らに読むことを心がけている。

 

セリフも、物語も。

 

それで

自分の気持に入ってきた情報や感情を素直に受け止めてみる。

これが肝心。

 

若い頃は

「おっ! これは自分の役だぞ! どれどれ、どんなキャラなんだ?」

なんて思って読み始めていたが

こうなると最後

全体像がまるで見えなくなってしまう。

 

推理小説を読むときも

脚本を読むときも同じ。

引いて、引いて、引いて、

が、僕の基本姿勢。

 

ただし。

この読み方だと、内容を忘れてしまうのも滅法早い。

その瞬間は面白かったりするのだが

振り返って思い出そうにも何も浮かんでこない。

(……ただのバカなんじゃないか?)

 

 *

 

『アンフェアな月』はパートごとの稽古が多い。

となると、劇団公演と違って、自分の出番が無いときはお休みになる。

 

なので、僕は、読み合わせ以来

芝居の全体像がどうなっているのか?

まったく知らないままだった。

 

本がきちんと読めていれば

「あそこのシーンはああなってるだろうなぁ」とか

「あそこの転換はこういうかんじかな」など

ある程度の想像が付くだろうけど、僕はそうじゃない。

 

昨日、頭から観させてもらって

「へ~へ~」

「ほ~ほ~」

「ふむふむ」

「あ、そこはそうなるのね」

など、やっとこさ見えてきた。

やっと繋がり始めた。

 

 *

 

なるほど。

ある程度覚悟はしてたけど、推理小説を芝居にするのは手強い。

想像以上に手強い。

 

「あそこどうなってたかな?」

「あの人、何て名前だっけ?」

など、小説ならページを捲って巻き戻せるが、舞台はそうはいかない。

 

状況をきちっと説明できなければ

一瞬でお客さんは付いてくるのを諦めてしまうだろう。

 

これは

演出の力も

俳優の力も

大いに問われる。

 

うんうん

負荷が大きいのは良きこと。

 

少ないメモリをフル活用して頑張ります。

 

 

 

では、また。

 

 

 

お詫び

 

昨日の『おおきく振りかぶって』の出演者の中に

関根翔太の名前が抜けてましたね。

関根くん、ごめんね。

悪気しか無いからね。

あ。

間違えた。

悪気は無いからね。