ども、連覇を目指す岡田達也です。

 

 

 

「今年も残すところあと◯日だねぇ」

そんなセリフをよく聞く。

テレビからも、ラジオからも聞こえてくる。

街中を歩いていても、いたるところから聞こえてくる。

Googleの音声検索を立ち上げたら

いきなり「今年も残り◯日です」なんて文字が出てきやがった。

驚いたのなんの。

 

で。

天邪鬼な僕はいつも思うのだ。

「もういいよ。そのセリフでお腹いっぱいだよ」と。

 

31日に今年が終わるだけであって

世界が終わるわけでもあるまいし

1月1日は新年ではあるけど

大晦日の翌日でしかない

……なんて思ってしまう。

 

日をまたいだだけで

嫌なことがすべてが消えて無くなったり

生活のすべてが生まれ変わったり

僕の年俸が5億円になったり……

そんなことはあり得ないのだから。

(年俸に関してはキミの努力次第で可能性はあるんじゃないのか?)

 

でも、きっと、そういう区切りが大切なんだろうな。

 

 *

 

大好きだったおばあちゃんが言っていた。

「新年は厳粛な気持ちで迎えなければダメよ」

 

意味がわからなかった僕はおばあちゃんに聞いた。

「「げんしゅく」って何?」

 

「「おごそか」ってこと」

 

「「おごそか」って何?」

 

「……」

 

おばあちゃんはしばらく考えた後、こう言った。

「シャンとして迎えるってこと!」

 

おばあちゃんのこの名言が忘れられない。

厳粛も、おごそかも、小学生には理解しにくかったけど

「シャンとして」はわかる気がする。

 

おそらくはおばあちゃんの思いつきか

もしくは恐ろしく後付けの理論だと思うが、こう続けた。

「今年曲がってしまった背骨を、シャンと伸ばして新年を迎えるの!」

 

 *

 

「今年の汚れは今年のうちに」

という文句はよく聞くが

僕のスタンダードは

「今年曲がってしまった背骨は今年のうちに」

だったりする。

 

 

「今年が終わりますよ!」という言葉に

必要以上に煽られることなく

あと5日間で曲がった背骨を伸ばしていけたらいいなぁ。

それで

当時わからなかった「厳粛」や「おごそか」な気持ちで新年を迎えられたらいいんだろうなぁ。

 

やっぱり区切りってのは必要なのか。

 

 *

 

でもでも

やっぱり僕は新年を迎える楽しみより

『ニューイヤー駅伝』のほうが楽しみなんだよな

しかも旭化成、去年優勝したし、今年も強そうだし。

 

 

おばあちゃん

「厳粛な気持ちでニューイヤー駅伝を観る」ではダメですか?

 

 

 

では、また。