ども、復活の岡田達也です。
お待たせしてごめんなさい。
ちょっと時間がかかりましたね。
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人の自慢話ってのは聞いててもつまらないものが多い。
「また始まったよ……」
「得意のあの話だ……」
など、繰り返して話す輩のやつは特につまらないものが多い。
たまに顔面を破壊してやろうかと思うときがある。
なんだけど
ま、今日だけは私の自慢話にお付き合い頂くとして。
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11月19日
母・秀子が永眠しました。
78歳でした。
実は5年前に腹膜癌が見つかり、病気療養中だったのです。
身内の不幸を公にするのは自分の好みではないので、書くか、書くまいか、多少悩んだのですが……
それでも、秀子さんはこの日記の大切な登場人物であるので
(いやいや、オマエが勝手に面白可笑しく書いてるだけだろ)
達也汁読者のみなさんにとっては公人であると思うのでお伝えしておきますね。
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母は、常に“誰かのために生きる人”でした。
自分のことよりも親や兄妹のこと
自分のことよりも友人のこと
自分のことよりもお世話している患者さんのこと
何より
自分のことよりも家族のことを優先し、考え、行動した人でした。
私利私欲という言葉が無縁の人です。
目立つことを嫌い
人の後ろに控え
それでも困っていそうな人を見つけたら
でしゃばるわけでもなく、ソっと手を差し伸べる人でした。
僕は49年の付き合いですが、母が誰かの悪口を言ったことを一度も聞いたことがありません。
(ただし父・隆夫さんに関することは除く)
愚痴や弱音も聞いたことがありません。
(ただし父・隆夫さんに関することは除く)
おそらく……
誰からも悪口を言われないまま生涯を終えた人だと思われます。
どうしてあんなに寛容に生きていけるんだろう?
どうしてあんなに人に優しくできるんだろう?
我が母親ながら不思議で不思議でたまりませんでした。
あまりにも出来すぎていて
「僕は本当に彼女の息子なんだろうか?」
と何度も疑ったくらいです。
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僕は母と出会えて幸せでした。
彼女の息子であることが自慢でした。
生きていく中で、出会った人の影響を受けて、人間性ってのは形成されていくのでしょう。
これっぽっちも彼女のような生き方は出来てませんが、
それでも、間違いなく、今の僕の人生に一番影響を与えてくれた人です。
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秀子さんがいなくなってしまったことは悲しいことです。
ポッカリです。
グルグル、グルグルしてます。
それでも看護婦だった彼女が常に言っていた
「人はいつか死ぬ。私もあなたも。だからその覚悟はしておきなさいね」
という言葉を噛みしめるときなんだと思います。
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僕はこれからも秀子さんのことを日記に書くと思います。
だって、面白いから。
笑ってもらえることがたくさんあるから。
それに
この日記を読んでくださるたくさんの人に愛されたから。
どうか、僕が秀子さんのことを茶化しても、不謹慎だなんて思わないでください。
それは間違いなく僕の愛情です。
世界で一番の愛情です。
だから。
終わりじゃないです。
これからも秀子さんのことをよろしくお願いします。
以上
自慢話をご静聴いただき、ありがとうございました。
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『光の帝国』
鳥取公演にて。
では、また。
追伸
劇団員のみなさま
関係者のみなさま
近江谷太朗先輩
上川隆也先輩
お気遣い、ありがとうございました。
ただただ感謝します。