ども、鳥取弁まみれになった岡田達也です。
今の職業には何の関係もないが、鳥取工業高校建築科出身だ。
ま、きっと人生とはそんなものだったりする。
昨日、岡田達也が帰ってくるというので、何人かの仲間が集ってくれた。
「オマエが出とらんならええわい」と誰一人芝居は観てくれていないが、酒の席ならとことん付き合おうという、実にわかりやすく、心優しき友人たちだ。
今日は、みなさんにとってまったく興味も無いであろう、同級生たちを紹介しよう。
興味は無いだろうけど、僕がどんな高校生活を送っていたかが伺われるかもしれない。
一番左の縦ストライプ
中村やん
確か「中国人っぽい」という理由で、「やん」と呼ばれるようになった男。
高校時代からおそ松くんのイヤミにそっくりだとは思っていたが、ますます似てきた。
典型的な幹事タイプで、声掛け、店抑えなどは、すべて彼の仕事。
未だに、クラスの出席番号順にすべての名前が言える恐ろしいやつ。
隣の正座でネクタイしたおっさん
きんじ
本名は金山くんだが「きんじ」と呼ばれていた。
野球部のキャッチャーで、パワーヒッターだった。
しかも、現在はさらに25キロ太ったそうで、とんでもない大きさになっていた。
高校時代は無口な存在だったが、僕はどういうわけか彼のことが好きで、よく引きずり回していた。
今は超おしゃべりが得意な営業マン。
隣の中腰
さる、あるいは、小山
本名は小山くんだが、見た目の問題で「さる」とも呼ばれていた。
もちろん「さる」と呼ぶとめっちゃ怒っていたが。
これもまた野球部で、心優しき男なのだが、とにかくいじられキャラでみんなのおもちゃになっていた。
最後列左のVサイン
こんどう
毎日のように我が家に遊びに来て、勝手に冷蔵庫を開け、食べ物が入っていないと「チッ!なんだいや、何もあらせんがな!」と怒っていた。
今思い返しても勝手すぎる男だ。
基本的におとなしい子だが、麻雀になると人が変わるタイプ。
その横の髪の毛薄いやつ
プロマサ、あるいはプロキン
何でそんなあだ名なのか忘れたが、確か「プロテインをいつも飲んでいるから」みたいな理由だった気がする。
にしても、そのあとの「マサ」とか「キン」がどこから来たのかさっぱりわからないが。
現在『サンドボード』の第一人者として活躍中。
テレビなんかにも出ているそうなので知ってる人がいるかも。
その隣
やしば
高校時代、誰よりも図面を書くのが早く、「宿題の製図 一枚500円」で引き受けてくれていた。
結果、僕も含め10人くらいがオファーし、すべての図面が同じタッチなのがバレて先生に怒られた。
当時から建築に進むだろうと思っていたが、現在はちゃんと大工の棟梁になっている。
私の後ろ
栂尾(とがお)
豆タンク系。
高校時代に一緒にジーパンを買いに行き、「これがええぞ。試着して裾上げしてもらおう」と言いながら短パンを渡したところ、「いや、これならさすがのわしの短足でも切らんで済むでないか?ピッタリな気がする。って、おーい!」と絶妙なノリツッコミを披露してくれた。
ちっちゃいながらも情熱家で人情に熱い。
集まろうと言ってくれるのはいつも彼。
その後ろ
太郎
栂尾と同じく豆タンク系。
名字が「岡本」だから「太郎」と呼ばれるようになった、あだ名の典型的なヤツ。
身長は160㎝そこそこなのにバレー部で頑張っていた努力家。
クラスでの成績も良かった。
*
1クラスしかないので、3年間同じメンバー。
そりゃ仲良くもなるし、ケンカもした。
あの当時、50歳なんて想像もできなかったし、していなかったけど、こうして変わらずに集まれることが何とも嬉しい。
思い出話は反芻すればするほど味が出てくる。
当時の自分たちのバカさを笑いながら飲む酒は最高だった。
お店の店員さん、うるさくしてゴメンね。
また飲みに行くので勘弁を。
では、また。