ども、実が詰まりたい岡田達也です。
なんだか、自分は、いつまでも
「あのときのままの自分」
でいるような気がする。
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これ、年齢のお話。
肉体年齢と、精神年齢の誤差というか。
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例えば。
小学生6年生のとき、わずか1歳しか違わないにもかかわらず、中学生がとても大人びて見えた。
でも、自分が中学生になってみると、大して大人になってない。
大人に変身できていない。
そのときの自分の持つ「大人」のイメージが具体的に何だったのかもう覚えていないけど、とにかくそうはなれていない自分がいた。
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例えば。
僕の父・隆夫さんの場合、31歳のときに兄が、34歳のときに僕が生まれた。
自分の親なんて、ある意味、大きなガイドラインとなる。
僕は勝手に「ってことは自分も35歳前後で子供を作るのかな」と、ボンヤリと思っていた。
しかし。
ボンヤリした人間のボンヤリした思考など現実となるはずもなく、49歳になった今、息子も娘もいない。
(ひょっとしたら60歳くらいで第一子誕生とかになるかもしれないけど)
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例えば。
キャラメルボックスのオーディションを受けて不合格となったものの、制作部として劇団に潜り込んだ直後。
『天国から北へ3キロ』というプロデュース公演で、僕は演出助手の仕事をもらい、黒子として舞台に立つこととなる。
これが実質、僕の初舞台だ。
このとき、粟根まこと先輩と出会った。
この時点ですでに粟根さんは新感線だけでなく、関西の小劇場界では欠かせぬ存在となっていた。
今、こうして普通に舞台上で共演しているし、仲良く話せているが、ある瞬間にフト思う。
「いやいやいや、おかしいだろ?なんでオマエがあの粟根まことと普通にしゃべっているんだよ」と。
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『サブマリン』
主催・首藤健祐からのオーダーで
「若者をヒューチャーしたい!」ってのがあった。
確かにそういう構造の作品だ。
気持ちはよくわかる。
そして支えるべきは、僕を含めた“いい歳した大人たち”なんだろう。
で、だ。
僕は年齢的には十分大人なんだけど、
なんかこう、
中身が伴っていないというか、
ちっとも大人じゃないというか、
未だどうにもなれていないというか、
とにかくまぁ残念な感じなのだ。
もうちょっとバリッとして、シャンとして、大人として、若者たちを支えてやりたいのに。
これが冒頭に書いた「あのときのままの自分」ってことで
それが「どのとき」を指すのか自分でもわからないけど。
ズレ(あるいは溝)は縮まるものなのか?
それともずっと埋まらないものなのか?
ま、もう少し心の方も大人にならなくてはいかんなぁ、と自己反省するわけです。
そうしないといつまで経っても若者を支えることもできないし、ひいては鳥取県知事にはなれないなぁ、と。
(……お願いだから就任しないでくれ)
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若者と大人たち。
では、また。