ども、美酒に酔った岡田達也です。

 

 

 

ソフトバンクホークス

2年振り18度目の優勝です!

 

選手、関係者のみなさん、

おめでとうございます!

 

ファンのみなさん、

おめでとうございます!

 

そして自分、おめでとう!

 

ありがとう!

ありがとう!

 

 *

 

今一度書いておこう。

 

僕が小学生になったばかりの頃だった。

父・隆夫さんが言った。

「強いチームを応援したらいけん。だけぇ、オレは巨人じゃなくて阪神を応援しとる」

 

当時のテレビは今と状況が違う。

ケーブルテレビや衛星放送などない時代だ。

鳥取のど田舎で見ることができるのは巨人戦だけ。

そりゃ100%の確率で子供たちは巨人ファンになる。

 

しかし……

僕はその道を閉ざされた。

代わりのチームを探すしかない。

 

隆夫さんと一緒に阪神か?

いや、何かが違う

何かが……

なんだろう?

そうだ!

ユニフォームに黄色が入っているからだ!

好きじゃない色のチームを応援したくないな

 

ってことは……

好きな色のチームを応援すればいいんじゃないか?

となると青か緑だな

あ!

あった!

南海ホークスだ!

 

どんなチームだろう?

隆夫さんに訊いてみた

えぇ!?

野村克也という人がキャッチャーやりながら監督やってるの?

すっげー!

そんなチーム、他にないよね!

なんかそれだけでも面白いな

よし

僕は南海ホークスを応援しよう!

 

これが今から43年ほど前

昭和49年頃の話だ。

 

緑が好きだ。

たったそれだけのことでホークスを応援し始めた。

 

ただ、隆夫さんはそれをたいそう喜び

どこでどう手に入れたのか

驚いたことに

野村克也

藤原満

桜井輝秀

門田博光

この4選手のサイン色紙を順々にくれた。

 

そりゃ、もう、好きなってしまう。

 

ただし。

そこからが茨の道だった。

 

僕が応援を始める前年に優勝したホークスは、僕が応援を始めた途端、弱小チームに生まれ変わってしまった。

1974年から1997年までの間

ず~っとBクラス(4位以下)に沈んだのだ。

 

23年ですよ!

23年!

 

僕は中学生になり、高校生になり、大学生になり、社会人になり、トラック運転手になり、キャラメルボックスに入った。

球団は南海ホークスから、福岡ダイエーホークスになった。

 

それでも、どれだけ経っても

びくともしない、堂々のBクラス球団だった。

 

本当に、本当に長い時間だった。

優勝なんて贅沢は言わない。

けど、せめてAクラスに入ってくれてもいいじゃないか。

せめて一度でいいから。

 

でも。

正直言うと「僕が死ぬまでに優勝することはないんだろう」と諦めたのも事実だ。

 

だから1998年に3位になったとき、どれだけ嬉しかったか!

おかしなやつだと思われるかもしれないけど

僕は翌年の優勝よりも、このときのAクラス入りが忘れられない。

それくらい衝撃的だった。

 

 *

 

その後、ホークスは変わった。

本当に、本当に強くなった。

親会社がソフトバンクに変わったことで資金にも余裕ができた。

盤石のチームになった。

 

僕は今でもホークスが好きだし、ずっと応援するだろう。

でも、以前ほど力を入れなくなった。

 

それは強くなったから。

 

勝手なのはわかっている。

でも、あの23年間があるから

「どこのチームもたまには優勝できればいいのになぁ。そうじゃないと辛すぎるよ」

なんて、勝負にあるまじきことを思ってしまう。

ひょっとすると僕が歳を取ったということもあるだろうけど。

 

 *

 

今年は間違いなくカープとの日本シリーズでやってほしい。

今のカープは素晴らしいチームだと思う。

本当に強くて、魅力的なチームだ。

 

どちらもCSでコケることなく、真の日本一を争ってほしい。

 

 

 

 

では、また。