ども、鳥取工業高校建築科卒業の岡田達也です。
小倉のホテルからバスに乗り、北九州空港に向かった。
そんな空港あったんだ
いつもは福岡空港を利用しているから知らなかったなぁ
と。
驚いた。
空港の手前から橋を渡り始めたのだが、これがかなり長い。
そして何より
右を見ても左を見ても下を見ても、海、海、海だ。
こ、これは!
間違いなく海の上を走ってるじゃないか!
ちょいとわかりにくいかもしれないが、こんな感じ。
全長2キロほどあるだろうか?
それが空港に向けて伸びている。
ん?
伸びている?
だって、この橋、内陸部から海に向かって伸びてるんだぞ
ってことは目の前に見えてきた空港って、もしかして……
埋立地ってことか?
慌ててGoogleマップを見てみた。
な、なんてこった……
う、浮いてやがる……
海の上に浮いてるじゃねーか!
間違いなく埋め立てやがったな!
ここで考える。
どうやったら海の上にあんな大きさの建物を作れるのだ?
どうやって埋め立てたのだ?
頼むよ!
誰かわかり易く説明してくれよ!
知りたいんだよ!
*
14歳のとき。
設計技師に憧れた。
特に深い理由もなく憧れた。
家だったり、建造物だったり
将来はそんなものを設計できたらいいなぁ~
ボンヤリと思った。
工業高校の建築科に入学した。
順風満帆だった。
入学して一週間。
設計図を引かされた。
まだまだ設計なんてできるレベルじゃないので、有りものを完全に真似て(コピーして)描いた。
描き終わって驚いた。
いや、驚いたなんてもんじゃない。
顎が外れそうだった。
ひょっとすると目は3センチほど飛び出ていたかもしれない。
できあがったみんなの図面と見比べてみると、僕のは圧倒的に下手だった。
いや、下手なんてものじゃない。
2歳児の落書きと同レベルだった。
成井さんが担任の先生なら「オマエの図面は地獄絵図だな」と間違いなく言っただろう。
今ならわかる。
こんな絵心の無い人間に設計図など引けるわけがないのだ。
今なら、線など引けなくともパソコンで描ければ問題ないのだろう。
しかし、当時はすべて手書きだ。
美しい線と、美しい数字が、図面の出来栄えを決めた。
僕は入学一週間で挫折した。
*
その後3年間、みっちりと建築の勉強をした。
建築設計、建築施工、構造力学、設計製図……
耐荷重計算もやった。
梁の力学もやった。
どうやって橋を作るのか?
どうやって埋め立てるのか?
先生が一生懸命にしゃべっていた
とすれば、僕は一般の人より、その世界の勉強はしてきたはずだ。
でも僕はすでに「設計技術以外の職業につこう」と心に決めていた。
先生の言葉は何も入ってこなかった。
*
昨日
僕はバスの中で、バレると恥ずかしいので、誰にも気付かれないように興奮していた。
すげー!
すげー!
この橋、どうやって作ったの?
この空港、どうやって埋め立てたの?
誰か!
誰か!
教えてくれよぅ!
*
あのとき図面がきっちりと描けていたら、北九州空港と、そこに続く橋を設計していたのは、ひょっとすると僕だったのかもしれない。
……そうならなくて良かったな
たぶん、飛行機が着陸した瞬間に空港が沈むぞ……
では、また。