ども、打ち上がった岡田達也です。
『花火の陰』
無事に千穐楽を迎えることができました。
劇場に足を運んでくださったみなさん、ありがとうございました!
劇場には行けなかったけど応援していたよというみなさん、ありがとうございました!
それから
たくさん、たくさんのお手紙、差し入れ、ありがとうございました!
すべては僕の血となり肉となり汁となっております!
*
あくまでも“理想は”だけど……
一人で観たのなら頭の中で思い返してしまいたくなるような
友達や恋人と一緒なら観終わったあと二人で語りたくなるような
そんなお芝居ができたら良いな、と常々思っている。
なんでもいい。
「あのシーンは良かった!」でも
「あのときの表情が良かった!」でも
「あそこは笑った!」でも
「あそこをもう一度観たい!」でも
もっと大雑把に「細かいことはさておきとにかく面白かった!」でもいい。
語ってもらったり
反すうしてもらったり
思い返してもらったり
たった一日でも良いからその人の記憶に刻まれたい。
芝居にはその可能性がある。
*
今回の劇中、こんなセリフがあった。
「どれだけ苦しんで作っても、いつかは忘れられてしまう。残らないものを俺たちは必死で作ってるんだよ」
「そんなの当たり前じゃないですか。誰にも頼まれてないものを作ってるんだから、忘れられて当然じゃないですか。忘れられたくなかったら、忘れられないようなものを作ればいいんです」
このセリフを聞くたびに「そうだよなぁ」と胸に響いた。
もちろん、それがいかにハードルが高いことかは自負している。
でもでも
そこを目指さなければ芝居をやる意味は無いのかもしれない。
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舞台に立つことすら簡単じゃない。
いくら芝居がやりたくても、呼んでもらえなければできない。
それに、芝居ってとっても効率が悪いから、金にはならないくせにやたらと金がかかるし。
舞台に立てたからといって、脚本や演出や役者やスタッフワークが魅力的でなければ面白くないし。
我ながら厄介で面倒な世界に首を突っ込んでしまったものだと思う。
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『花火の陰』が少しでも記憶に残れば幸いです。
では、また。