ども、冬彦さんは見ていなかった岡田達也です。

 

 

 

昨日の朝、伊集院光さんのラジオを聴いていた。

ゲストは俳優の佐野史郎さん。

そのトークの中でとても面白い話をしていた。

 

「僕もいろんな演出家についてきて、いろんな監督についてきたんですけど。唐十郎にしても、山崎哲さんにしても、竹内銃一郎さんにしても、若松孝二監督にしても、石井輝男監督にしてもですね、「そのことをやるな」「突き放せ」って言うんですよね。感情と言葉が癒着しちゃうと、あんたの勝手でしょってことになるので、起きてる現象をとにかく突き放すように。それはどんな技芸でもいっしょでね、落語だってそうだし。だから極端に言えば「役者は演じちゃいけない」ってことですかね。でも、できるわけないんです。だって、演じてるんだから(笑)」

 

 *

 

舞台に立ち初めた頃

「おまえのセリフは全然伝わらないんだよ!」

というダメ出しを死ぬほどもらっていた。

これは、きっと僕だけじゃない。

感情とセリフが一致する術を持たないときは、そりゃそうなるだろう。

まずはこれができなければ役者としては話にならない。

 

10年くらい経ったときだろうか。

こんなダメ出しをされた。

「そんなにわかりやすくやらなくていい。俺だけにわかるくらいで表現して」

おや?

そんなこと初めて言われたぞ……

 

それぐらいやっていると、いくら劇団で一番下手だった人間も感情とセリフが合致してくるようになるらしい。

そうすると、わかりやすく、気持ちよく(あくまでもしゃべっている本人が)、セリフに感情という色を塗り始めるようになる。

 

これが「感情と言葉の癒着」の第一段階だと思われる。

 

役者はこの頃が一番面倒くさい。

気持ちを込めてしゃべれるようになると、セリフをもらっても

「これは言えない」

「これはおかしい」

「これはどんな感情なら言えるのですか?」

というようなことを言い出すようになる。

これも大抵の役者が通る道だ。

 

今度は。

それを過ぎると「感情と言葉の乖離(かいり)」が始まる。

(乖離……そむき、はなれること)

「え?思ってることと、しゃべってることが別々?そんなことがあるの?」

と思われるかもしれない。

でもでも、ですよ。

例えば「お腹減った」とか「あ~、やっぱり湯船は気持ちいいな」というような独り言なら、それは感情のままの言葉が口をついて出るだろう。

だけど。

日常で生きてる人で、感情丸出しのまますべての言葉を発しながら他人と会話している人がどれほどいるだろう?

 

いやいや

なかなかいないっすよ、そんな人

 

 *

 

日常、人は多少なりとも演じながら生きてる。

逆に

役者は演じるのがお仕事なのに「演じるな」と言われる。

なんとも面白い。

ま、それができれば最高なのは頭ではわかっているんですけどね。

でもねぇ、これが恐ろしく難しいんです。

だとすれば、どれだけそこに近づけるかなんだけど……

 

佐野史郎さんが「無理ですよ、だって演じてるんだから!」

その言葉を聴いた瞬間、僕も思わず吹き出してしまった。

 

 * *

 

「なんのこっちゃ?」という話でごめんなさい。

最近、ずっと考えてることなので、ラジオから聞こえてすごく面白かったんです。

そんなお話。

 

 

 

では、また。