ども、似非コーチを務める岡田達也です。
4月5日の日記
「我々の振付師は「世界の」と形容されています」
http://ameblo.jp/okada-tatsuya/entry-12262732143.html
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『スキップ』
昨日、振付師の川崎悦子先生が稽古場に来て手直しを行った。
「手直し」と言えば聞こえは良いが、この先生、ジャンジャン振り付けを変える。
実寸がとれる稽古場で、実際に使用する盆(回り舞台)があると、イメージが湧いてきてどうしようもないらしい。
そして、毎度のことながら、我々は心の中で「今日までの一週間は何だったんだ?」と叫びながら新しい振り付けを覚える。
余談だが。
『さよならノーチラス号』(初演)というお芝居のときのこと。
ゲネプロを観た川崎先生は例のごとく何かが湧いてしまったらしい。
いよいよ初日の幕が開くというときに、男優たちにとんでもないオーダー(変更)を出してきた。
先行して踊る男優5人は開演の15分前に袖に行き、みんな涙目になりながらひたすらダンスを返していたことを思い出す。
近江谷太朗先輩の「死ぬときは5人一緒だ」という言葉と、上川隆也先輩の「いくぞ!」という言葉は今でも忘れられない。
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昨日、振り付けの修正が終わったあとご飯に誘われた。
そういえば久しくご一緒してない。
お供することにした。
僕がキャラメルボックスに入団したのと、川崎先生がキャラメルボックスの振り付けを始めたのは同じときだ。
だから先生は僕のデビューから知っている。
「あんたがターンするなんて10年早い!」
「役者でしょ?どうせダンスは踊れないんだから、せめて表情で見せようとか思わないの?顔、顔、顔!」
「この筋肉は何のために付いてるの?男でしょ!しっかり止まりなさい!」
「踊る以前の問題だわ!今日は振り付けしない!今から筋トレする!」
川崎先生に言われてきた名言の数々だ。
25年も付き合ってると、いくらでもこんな笑い話が出てくる。
昨日も“先生に頂戴した名言”を並べたら
「私、若かったのね!」
と大爆笑していた。
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先生のスタジオに通ったのはほんの半年だから、ダンスの基礎などないと言っていい。
あれから10年以上経ったがろくなターンもできない。
いつだってカウントに追われて顔の表情は死にっぱなしだ。
それなのに、毎日の練習では僕が指揮をとっている。
それは
川崎先生の好みだったり
川崎先生のやってほしいことが
わかるから。
いや
染み付いているといったほうが正しいか。
その自負だけはある。
「門前の小僧習わぬ経を読む」ならぬ
「門前のおじさん習わぬダンスを踊る」だ。
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「岡田くんは本当に上手くなったよ」
我が耳を疑った。
先生と25年付き合って初めてだ。
そんなこと言ってもらえる日が来るなんて。
これは快挙だ。
「最初はどうなることかと思ったけどね(笑)」
つくづく“継続は力なり”を噛み締めた夜。
では、また。