ども、大阪芸術大学卒業の岡田達也です。

 

 

 

『鍵泥棒のメソッド』

昨日は大阪公演初日。

たくさんのお客さんが足を運んでくださった。

 

大きな劇場に、沢山の笑顔……

素直に嬉しい。

 

そんな中、僕の大学時代の同級生が観に来てくれていた。

 

 *

 

東京芸術大学は頭がいい人が集まる

日本芸術大学は人気がある人が集まる

そして……

我が母校、大阪芸術大学は「変人が集まる」と言われた学校だ。

(私が在学中の話なのであくまでも1986年前後のことです)

 

これは噂だが「偏差値が1~99までの人間が散らばってる」とも言われていた。

これも噂だが「○○○から○○○まで、欲しいものは何でも手に入る」とも言われていた。

(ここには書けないので想像して楽しんでください)

世界に羽ばたくような芸術家を排出したかと思えば

天王寺あたりを徘徊する人間も排出する大学だった。

もはや“学校を超越した学校”だったように思う。

 

そんな中「舞台芸術科」という学科があった。

演技の勉強をするコース

ミュージカルを勉強するコース

スタッフワークを勉強するコースなど

本当に舞台の専門家になるための学科だった。

『劇団☆新感線』

『南河内万歳一座』

『転球劇場』

などはここの出身だ。

 

僕は違う。

まったく関係ない「放送学科」というところに在学していた。

なので演劇のエリートでも何でもない。

 

当時「自分が何者になりたいのか?」がわからぬまま迷走していた僕は、在学中に自分の進路を決めることができなかった大馬鹿者である。

フラフラフラフラ

ダラダラダラダラ

ケラケラケラケラ

そんなふうにしか生きられなかった。

“ダメな大学生のお手本“と言っていい。

 

いろんなところで話しているが、僕が東京に来て芝居を始めたのは自分の意志ではなく、恩師のアドバイスを利用した「瓢箪から駒」あるいは「嘘から出た真」だった。

(この下り、知らない方のために、またいつか書きます)

 

 *

 

久しぶりに再開した同級生に僕は言った。

「まぁ、もう少しこの世界で頑張るわ。他にやれることもないしなぁ」

 

わっ!

わわわっ!

自分で言っておいて、自分の言葉に驚いた。

 

大阪芸術大学に通っていて

演技に興味もなかったくせに

演技の勉強もしてなかったくせに

今は舞台をやってて

しかもず~っとやってて

挙句の果てに口から出た言葉が「他にやれることもないしなぁだと?

 

なんなんだ、俺の人生!!!

どうなってるんだ、この人生設計???

ムチャクチャじゃないか!!!

すでに人生半分以上生きてしまったぞ!!!

 

どこで軌道修正すればいいんだ???

果たして今からでも間に合うのか???

 

と、まぁ、久しぶりの友人に会って、自分の言葉に驚きはしたんだけど。

 

でもですよ

劇中の笑い声で

劇中の鼻を啜る音で

カーテンコールの拍手で

「あぁ、いい人生を送らせてもらってるな」と思うわけです。

 

僕は、

銭湯で転んで、

記憶を無くして、

誰とも人生が入れ替わる

なんてことがないようにしよう。

 

 *

 

そう考えると大阪芸術大学に行ったのも何かの縁かもしれないなぁ。

 

 

 

では、また。