ども、また一つキャラメルボックスの歴史を知った岡田達也です。
 
 
 
キャラメルボックスでやっているエアロビクスについて書いた日記。
 
2月6日の日記
『上川隆也先輩の背中を見て育ちました(物理的に)』
 
この日記を読んだ西川浩幸先輩から訂正が入った。
「たっちゃん、あのエアロビクスの真相はね……」
 
当時、西川さんはシアタートップス(新宿にあった劇場)でアルバイトをしていた。
そこのアルバイト仲間の女性がジムでインストラクターのバイトもやっていた。
そこで西川さんと上川さんでそのジムに行って、エアロビを覚えてきたらしい。
 
「周りはみんな女性でね。レオタードを着てて、かっこよくて、みんな踊れて。そんな中にオレと隆也だけはTシャツと短パンで参加して。恥ずかしかったなぁ……」
 
そうだったんだ
知らなかった
ビデオは参考資料として見ていたそうで、実際はちゃんとジムに通っていたのだ。
 
それにしても……
そのときの二人の心中を思うと涙が出てくる。
 
 *
 
キャラメルボックスの振り付けは『世界の川崎悦子先生』が担当している。
 
昔々、あまりにも踊れない我々に川崎先生の怒りが爆発した。
「あんたたち!本気でダンスをやりたいなら私のスタジオに通うなりなんなりしなさい!」
 
僕は「本気でやりたい」などこれっぽっちも思っていなかったが、自分がいかに踊れていないかは自覚していたので渋々通うことにした。
 
『BEATNIK STUDIO』
 
行った。
行ってしまった。
 
僕が通ったクラスは「アクターズクラス」という、俳優志望の人が通うクラス。
常時40人くらいいただろうか。
その中に男性は4人くらい。
 
初めて行ったときの衝撃は忘れられない。
みんなダンサーらしい出で立ちで、とにかくきらびやかだった。
やたらかっちょいいレオタード
わざと着崩したジャージ
派手目なレッグウォーマー
みんなお揃いのダンスシューズ
 
そんな中、チャンピオンの上下のジャージで行った僕は、まるで「野球小僧が間違って紛れ込んでしまった」ようだった。
場違い感がハンパなかった。
 
着替えた時点で心はすでに折れていたのに、ダンスのレッスンが始まるともっと惨めな状況になる。
とにかくついていけない。
手も足も出ない。
だけど帰るわけにもいかない。
僕は不器用に、不細工に踊り続けた。
 
一番のクライマックスは、授業の最後で発表するとき。
女性は2グループに分けられた。
男性は4人で1グループ。
「はい!じゃレディースのファーストから!」
20人の女の子たちがバリバリに踊る。
踊り終わると拍手が起きる。
「はい!レディースのセカンド!」
2グループ目がガシガシ踊る。
踊り終わると拍手が起きる。
「はい!次はボーイズ!」
僕以外の3人はクルクル踊る。
僕は……
僕だけは……
まぁ、悲惨なものだった。
何が辛かったって、その後に起こる拍手が痛くて痛くて。
心の中で僕は号泣していた。
 
 *
 
西川さんや上川さんは僕ほど酷いことにはなってないだろう。
でも、心中は察するに余りある。
先輩たちもそんな苦労をしていたなんて……
 
僕は今でもダンスが踊れるわけじゃない。
でも、少なくともあのときの「イヤだ、行きたくない」と思いながら通った経験があるから、舞台の上で自由に身体を動かせるようになったのは間違いない。
なんせ歩きながらセリフが言えない男だったのだ。
 
 *
 
若いうちの苦労は買ってでもしておくべき
……なのかもしれない。
 
 
 
では、また。