ども、「敵は海賊だ!」というセリフが大好きだった岡田達也です。



昨日はだっちのことを書いたので、今日は恵子さんのお話を少しだけ。

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おそらく、だけど……
キャラメルボックスの中で母親を演じた回数は恵子さんが一番なんじゃないだろうか?

日本の代表的なお母さん俳優といえば
京塚昌子さん、森光子さん、山岡久乃さんの三人だが
僕はその次に中村恵子さんを挙げておきたい。

当然、数多くのメンバーが彼女の息子や娘を経験していることになる。
もちろん僕もその一人。
『クローズ・ユア・アイズ』というお芝居で、ラストシーンの、しかも最後の最後だけ、恵子さんと親子として舞台の上に立った。

あれもとても思い出深いけど……

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キャラメルボックス結成10周年記念公演は『スケッチブック・ボイジャー』と『ヒトミ』の二本立てだった。

僕は『スケッチブック・ボイジャー』にエントリーされた。
役柄は対海賊課の宇宙刑事・ダイゴという、なんともぶっ飛んだ役。
そして。
その相棒・ヤマアラシを演じたのが恵子さん。

実は『スケッチブック・ボイジャー』、このときが3回目の上演(再再演)だった。
恵子さんは初演からずっとヤマアラシをやっていた。

役ってのは不思議なもので、再演するとより深く掘り下げられる。
そして
再再演となるとより身体に染みこんでいって、もうその人が何をやってもその役に見えてしまう。
(あくまでも僕個人の意見ですが)

恵子さんがしゃべれば、恵子さんが動けば、それはもうヤマアラシであって
後輩の僕なんかは、遅れを取らないように、迷惑をかけないようにと焦る一方で、気持ちにも芝居にも何の余裕もなかった。

そんな僕を見て恵子さんが言った。
「いいの、いいの。おっかーはおっかーのダイゴを作ればいいんだから。やりたいようにやってごらん」

この一言にどれだけ救われたか。
それ以来、やっと稽古場で息ができるようになった。

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1997年『ブラッグ・フラッグ・ブルース』というお芝居で、再びダイゴ&ヤマアラシとして出演。
2004年『ブラッグ・フラッグ・ブルース』が再演され、三度目のコンビを組んだ。
おかげでこのおバカなコンビはお客さんにずいぶん認知されてきた。

さらに翌年の2005年『スケッチブック・ボイジャー』が再演されることになった。
恵子さんはこのとき「年齢的にも体力的にもヤマアラシを演じるのはちょっとしんどいし、成井さんも別の人間で考えてるかも」と弱音を吐いていた。

僕は、困った。
恵子さんの気持ちもわかる。

だけど。
僕にとってのヤマアラシは恵子さんであって、他の誰でもない。
だって、僕のダイゴは、恵子さんのヤマアラシに育ててもらったのだから。

「成井さんには僕からも話すのでもう一度コンビを組ませてもらいましょう。恵子さんがやらないんだったら僕もやりません」

ワッハハハハ
なんと身勝手で、なんと偉そうな物言いなんだろう。
少なくともキャスティングを決めるのはオマエではないぞよ。

でも
でもでも
掛けあって良かった。

結果、四度目の、同じ役でのコンビを演じることができた。


最近では芝居の傾向も変わってきて、宇宙刑事なんてのも出てこないし、そもそもコンビが少なくなってきた。
そんな中で、あれほど、濃密に、コンビで長年やれたことは、僕にとっての誇りだ。

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舞台上で恵子さんをお姫様抱っこしなければならなかった僕に
「ごめんね、おっかー。私、今、重いでしょ?大阪公演行くまでには痩せるね」
と、何とも優しい言葉をかけてくれて「さすがは先輩!」と思ったけど
いざ大阪に行ってみたらやたら重く感じられて、そのことをツッコんでみたら
「ごめんね、おっかー。私、旅先で美味しいものをガマンできないの。3キロ太った」
と、度肝を抜く発言をかましてくれた恵子さん。

そんな思い出もコンビを組んだからこそ。

 *

大丈夫。
もしも『スケッチブック・ボイジャー』が再演されるなら僕と恵子さんで、杖つきながらダイゴとヤマアラシをやりますから。
まだまだ若い者には負けませんよ。
ね、恵子さん?




『水平線の歩き方』の楽屋にて。



では、また。