ども、東京ドームデビューは僕のほうが早かった岡田達也です。
今日は「だっち」こと篠田剛くんとの思い出話をちょこっと。
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だっちは僕が俳優になって、その一年後のオーディションで入団してきた。
ロックンロールをやってないにもかかわらずロン毛だった。
当時は髪の毛の量も多かった。
音楽をやってないにもかかわらず、夢は「東京ドームでワンマンライブをすること」だった。
それが口癖だった。
胸毛が多かった。
……いや、あれは胸毛ではなく乳毛だったか。
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当時のキャラメルボックスでは、「芝居の勉強になる」という名目で、新人が照明のピンスポットをたいていた。
ピンは二本。
片方を照明のプロの方が、もう一方をうちの新人が担当する。
ピンスポットを扱うのはとても難しい。
付け焼き刃でどうこうなるものではない。
一定のレベルに達するには、相応の努力と時間が必要だ。
僕の初舞台『四月になれば彼女は』は大阪が初日だった。
僕とだっちは『ルーミング心斎橋』という、部屋は広いがとても怪しげなホテルで相部屋だった。
僕は、新人で、初舞台で、毎日怒られ、まったく余裕のない毎日だった。
だっちは、さらに新人で、初めてのピンスポットで、毎日怒られ、まったく余裕のない毎日だった。
どちらかと言えばだっちの方が追い込まれていた。
場当たり(テクニカルリハーサル)の間中、照明プランナーの黒尾さん、それから成井さん、さらには加藤社長から怒声を浴び続けていた。
今から24年も前の話だ。
三人とも血気盛んである。
「しのだー! 何やってんだよ!」
「しのだー! ちゃんとやれよ!」
「しのだー! その場で死んでくれ!」
「しのだー! 頼むから死んでくれ!」
(ほんの一例だが、こうやって文字で書くとすごいな……)
新人の二人は、毎日、一番最後に劇場を出て一緒にホテルに戻った。
ここからだ。
ここから、長い時間が始まる。
僕は心の中で密かに「だっちタイム」と呼んでいた。
だっちの基本姿勢はこうだ。
缶ビール片手に、
ベッドの上ではなく床に座ってベッドにもたれ掛かり
膝を抱えて天上の一点を見つめている。
そしてセリフは決まってこうだった。
「僕、芝居やめます」
「僕、劇団やめます」
「僕、田舎に帰ります」
ナイーブな男なのだ。
デリケートな男なのだ。
僕は必死でなだめた。
「待って、待って! せっかくこうして入団できたのに! 今やめるのはもったいないよ!」
「でも……」
「だっち、これからだよ!」
「どうせ僕なんか……」
「だっちがいないと、この芝居成立しないんだから!」
「僕、ピンなんて……」
「誰だって最初から上手くはできないよ! だっちはやればできる! できる子だ!」
「そんなこと……」
「それに、今やめたら東京ドームでのライブはどうするの?」
「あぁ、それは」
「頑張ろうよ!」
「そうですね、やったりますか!」
日によって誤差はあるが、たっぷり一時間前後はこんな会話が繰り返された。
毎日、欠かさずに、だ。
そういう僕も新人で、場当たりで怒られてばかりで、台本を読みたかった。
読みたかったのだが、このだっちタイムが終わらないかぎり、僕に自由な時間はなかった。
* *
だっちは不器用な男だった。
それを本人も自覚していた。
だからピンスポットの件だけじゃなく、デビューしてからもよく怒られていた。
だけど。
だからこそ「自分が不器用で怒られて悔しい」という気持ちを、だっちは反骨精神に変えて頑張っていた。
その頑張りがお客さんにも伝わっていたんだろう。
登場しただけでお客さんに笑ってもらえるのはだっちだけだ。
それは出オチではなく、存在自体が愛されたからの笑いだった。
キャラメルボックスの舞台で
あれほど無条件に愛された俳優は
この先に出てこない
……と断言できる。
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だっちとの思い出話だけで一冊書けそうだ。
東京ドームでのワンマン、やってくれないかなぁ。
絶対に行くのになぁ。
では、また。