ども、女心に鈍い岡田達也です。



今日は『ひな祭り』。
女の子の節句の日。
つまりは「女の子の健やかな成長を祈る行事」
……だそうだ。

5月5日は『こどもの日』
こちらは端午の節句。
つまりは「男の子の健やかな成長を祈る行事」
……ということになっている。

 *

僕には3歳年上の兄貴がいる。
岡田家は男二人兄弟。

しかし。
我が家の屋根の上を鯉のぼりが泳いだことはない。
ついでに言えば、玄関や床の間に兜が飾られたこともない。
ただの一度も、だ。
まぁ、鯉のぼりも兜も興味はなかったのでそれは良いけど。

なんだけど3月3日は雛人形が飾られていた。
毎年、必ずだ。
あの三人なんちゃらとか、五人ほにゃららがいるような豪華なものではなく
お内裏様とお雛様が対になってるだけのものがほとんどだったが。

僕は子供心に思っていた。
「これって女の子の節句だよな……。“女の子”っていくつまでだ?母親になっても必要なものなんだろうか?」

……なんという可愛げのなさだろう。
……なんという残酷な疑問だろう。
しかし、一度もその件について触れたことはない。

母親は「お雛様」をコレクションするのが大好きな人だった。
いろんなサイズの、いろんな種類のお雛様を飾っていた。

僕は子供心に思っていた。
「お雛様をそんなにたくさん飾ってどうしたいのだ?一組で十分だろう?」

……なんという風情のなさ。
……なんという余計なお世話。
しかし、そのことについても触れたことはない。

 *

先日、電話で話していたとき。
フト、気になって訊いてみた。
「……今年もお雛様を飾ってるの?」

「もちろん!」

48年生きてきて初めて触れてみた。
「……あれって年齢とか、嫁入りとか関係ないの?」

「あら!いくつになっても飾っていいわよ!女の子の節句なんだから!」

「そういうもの?」

「まぁ、私が特別に好きっていうのはあるかもしれないけど」

母親は語り始めた。
「うちは貧しい農家だったでしょ?だから雛人形なんて買ってもらえなかったの。お金持ちの家の子はね、女の子一人に一組の人形を持ってる家もあったのよ。それが羨ましくてしょうがなかった。いくつぐらいのときだったか、親が小さな雛人形を買ってくれて、それがとっても嬉しかった。「3人で一つな」って言われて(母親は男4人女3人兄妹)」

「へー」

「当時、雛人形は嫁入り道具に持たされるものだったからね。とても憧れたのよ」

「ふ~ん」

「その名残りかな」

「でも、三姉妹とも結婚したんだし――」

「いいの!いくつになっても飾りたいんだから。それで」


あ。
ひょっとして
これが女心なのか?

 * * *

全国の“いくつになっても女の子”のみなさん
健やかな成長を祈ってます。


さーてと
ちらし寿司、食ーべよ。



では、また。