ども、他力本願の岡田達也です。



幼いときには“なりたいもの”がたくさんあった気がする……

電車の運転手
床屋さん
プロ野球選手
料理人

でも、いつの頃かその思いは消えてしまった。
なんの努力もしないうちに。

諦めたのか
自然消滅したのか覚えてないけど
とにかく僕になりたいものは無くなった。

 * * *

中学生のときだった。

「私の弟がね、工業高校の建築科に通ってたの。で、今は建築士として活躍してる。家を設計するなんてステキな仕事だと思うわ」

母親からそんな話を聞かされた。

あぁ、なるほど、建築士ね
これは母親のリクエストでもあるのかもなぁ
じゃあその方向で進んでみるとしようか

僕は工業高校の建築科に入学した。

 * * *

高校3年生のときだった。

「たつ!オレな、大阪芸術大学の建築科を受験しようと思っとるだ!おめー、どうせ暇だろ?一緒に受けに行こうぜ!」

クラスメイトのやんちき(山崎くん)に誘われた。

ふーん、大学受験ね
大学には何の興味もないけど、受験日は公休扱いになるんだよなぁ
だったら記念受験しておこうかな

自分の中に、建築家としての可能性をこれっぽっちも見出せなかった僕は、建築学科ではなく放送学科という競争率が一番高い学科を選択した。
(受かる必要が無かったので)

 * * *

大学4年生のときだった。

「岡田くん、就職活動してないでしょ?やりたいことがないのなら役者を目指してみない?私は向いてると思う」

ゼミの高木先生に度肝を抜かれる発言をもらった。

ええっ、役者!?
芝居にも演技にもまったく興味ないんですけど
でもでも、これを東京に行く理由にできるかもなぁ

ぼんやりと“東京という街を体感してみたい”とだけ考えていた僕は、大好きな先生の助言を正当な理由にすり替えて東京に出た。

 * * *

本日、キャラメルボックスのオーディション第三次審査。

僕とは違って、
自分の意志で、自分の人生を歩んでいる人たちが、自分の力を全力で発揮してくれる日。

僕は何の意志をも持たずに、流され続けてここまで生きてきた、そんな人間だけど
でもでも、精一杯の力で見させてもらいます。
それは約束します。

いっぱい緊張して、いっぱい楽しんでください。



では、また。