ども、公演ではなく神戸に立ち寄った岡田達也です。



たまに「自分はバカなんじゃないか?」と思うことがある。
いや、「たま」じゃなくて「しょっちゅう」と言っていい。

その原因として
・人の名前が覚えられない
・人との出会いが思い出せない
・「なんでこの人と仲良くなったんだっけ?」と、そのキッカケが思い出せない

自分で言うのもなんだが、こいつは重症だ。

 * * * * *

三宮のステーキハウス『吟』に初めて行ったのは、キャラメルボックスの加藤昌史社長に連れて行ってもらった
……のだと思う。

それがいつだったのかさっぱり思い出せないが「自分のお金で食べるにはちょっと手が出せないなぁ」と思った記憶があるから、ずいぶん若い頃だった。
……はずだ。

このように“何もかもの記憶が曖昧すぎる”けど、
気が付いたときにはお店の女将さんと仲良くなっていた。
とても、とっても。
そのことだけは間違いない。

劇団が神戸に行くたびに差し入れしてくださり
個人的にも「いかなごのくぎ煮」や「肉まん」を送ってもらったり
そんな間柄になっていた。

身寄りの無い彼女のことを僕は「お母さん」と呼んでいた。

僕の父親よりも年上で
健康のため毎日プールに通って泳ぎ
細い目をさらに細めてよく笑い
越路吹雪をこよなく愛していたお母さん

『ミスター・ムーンライト』という芝居のとき上川隆也先輩と食べに行き、お母さんを囲んで3ショットを撮った。
次に行ったときにはその写真が大きく引き伸ばされ壁に貼ってあった。
「これは恥ずかしいよ! 勘弁して!」
と抗議すると
「何言うてるの! あんたら私の自慢の息子やで!」
そう言って笑っていたお母さん。

 * *

『水平線の歩き方』の本番中、お母さんが亡くなったと聞いた。

実はここのところよく電話がかかってきていた。
「次はいつ神戸に来るの?早くおいでよ」と。
僕は最近大阪公演ばかりで神戸公演の予定がなく「そのうち行くから」と曖昧にごまかしては電話を切っていた。

まただ。
またやり残しを増やしてしまった。
生きているとこんなことの繰り返しだ。

だからこの旅を思いついたとき、どうしても神戸に寄りたかった。
お母さんに手を合わせたかった。
せめてもの……、というやつだ。

 * *

お寺に向かう摩耶山のロープウェイは雨降りで、真っ白いモヤに包まれて、晴れていれば絶景ポイントなのに、視界なんか0で、
あんまりにも悔しいから「せっかく手を合わせに来たのに、こんな仕打ちか!」と、心のなかでお母さんに毒づいてみた。

「あんたの普段の行いのせいやで!(笑)」

そんな声が聞こえた気がした。


合掌



つづく