ども、稽古最終日の岡田達也です。



昨日のつづき。

「自分がやった芝居をなぞる」
どうやらそいつはよろしくないならしい。
坂口さんに言われてからそのことを考えるようになった。

なるほどな~。
確かに、そこには新鮮な感情は存在していないもんな
たとえ前の人のセリフを聞いて、ちゃんと感情が動いていたとしても、言い回しを固定してしまっては意味が無いのか……

かと言ってどうすれば良いのだ?

わからん!
わかりゃん!
わかりゃーせん!

それから長い間、僕はその課題について悶々と悩んでいた。


それから1年くらい過ぎたある日。
とある芝居の本番中、開演前にロビーでセリフを練習していたときのこと。
先輩の西川さんが近寄ってきてこんなアドバイスをくれた。
「たっちゃん、そうやって本番と同じ調子(言い方)でばかりセリフを練習しないほうが良いよ」

ええっ?
そ、そうなんですか?

正解の言い回しを求めてさまよっていた僕には再びの衝撃的なアドバイスだった。

「だって、芝居に正解は無いよ」

おおっ!
そ、そんなもんですかね?
んじゃ、どのような練習方法があるんですか?

「例えば、これはオレがやってる方法なんだけど――」
そう言って貴重な方法論を教えてくれた。

「自分のセリフを、抑揚と強弱を付けず、可能な限り棒読みで、それでいてなるべく早くしゃべる。で、自分のすべての出番のセリフを切らないで続けて言ってみる。一息で持つ限りつなげてね」

ええっ?
ぼ、棒読みで?

ただでさえ
「オマエのセリフは棒読みで眠くなる!」とか
「オマエのセリフの強弱は普通と逆だ!そんな人間はいない!」と言われている身ですよ。
それなのに、そんな練習方法採用しても良いんですかね?

「(この方法が)合わなければヤメればいいだけだよ」

はじめは半信半疑だった。
でも、先輩のアドバイスだしな。
それに、早くセリフをしゃべるってことは早く練習が終わるもんな。
そしたら自由な時間も長く取れるか。
そんなヨコシマな気持ちも手伝って“スピードラーニング”でも“公文式”でもなく“西川式”を始めた。

イメージとしては落語の『寿限無』で、名前を読み上げる下りのように。
もしくは滑舌練習のテキストにある『外郎売り』のように。

そんなかんじで自分のすべてのセリフを言うようにしてみた。



つづく