ども、リヤカーの豆腐屋さんを懐かしむ岡田達也です。



昨日の続き。

扁桃腺を腫らし高熱を出して、
布団に横になったまま天井をボーッと見て
空想の電車を走らせながら
母親の帰りを待っていた。

夕方。
階段を小走りに上がってくる音が聞こえる。
「あっ、お母さんだ!」
と、買い物袋を下げた母が扉を開ける。
「ただいま」
当たった!
なんだかそれだけで嬉しくなりホッとしたものだ。

しばらくすると「と~ふ~」というラッパの音が聞こえてくる。
母がサンダルを引っ掛けて出かけていく。
我が家のお豆腐は必ずリヤカーのお豆腐屋さんから買っていた。

あぁ、今夜は湯豆腐なんだなぁ

僕が熱を出した日の夕食は必ず湯豆腐だった。
食べやすいものを、という配慮だったのだろう。

なんてことはない湯豆腐だったけど、一つだけ特徴があった。
グツグツと温められている土鍋の真ん中に、大きめのマグカップが置いてある。
(このマグカップには太陽の塔が描かれていたのを覚えている。時代だ……)
その中にポン酢と大根おろしと刻んだネギが一緒になって温められていた。
豆腐を取り、その上に薬味と一緒になったポン酢をスプーンですくってかける
それが我が家流だった。

湯豆腐を食べるたび、母が必ず言っていた。
「これはね、ちゃんとした料亭で湯豆腐を食べたときに、こうやって出されたの。そのやり方を真似してるのよ」
そのことを話すときの母はどこか自慢気で、僕はそれを聞くのが好きだった。

6畳と3畳しかないボロアパートで
しかも食べているのはただの湯豆腐で。
そうなんだけど
「ちゃんとした料亭の湯豆腐の出し方を真似ている」ことを楽しげに話してくれることで
ただの湯豆腐が何よりのご馳走に変化した。

もちろん、とても美味しかった。
僕はその湯豆腐が大好きだった。



つづく