ども、ばかものこと岡田達也です。



『蜜柑とユウウツ』
稽古が終了した。

本読みの段階で想像はしていたけどかなりの大作に仕上がった。
今のところ上演時間は
一幕70分
休憩10分
二幕70分
合計150分強になっている。

こいつはとてもボリューミーだ。

・お尻の骨が尖っている
・ヘルニア持ちで同じ格好が長続きしない
・2時間以上アルコールを入れないと手が震える
このような症状をお持ちの方は心して観劇していただきたい。

 * * * * *

茨木のり子さん
恥ずかしながら、この作品に出会うまで名前しか知らなかった。
最近では『わたしが一番きれいだったとき』という作品が国語の教科書に掲載されているそうだ。
が、そんなことも知らず、稽古が始まる前に詩集を買い初めて彼女の作品に触れた。

これが、もう、背筋が伸びた。
もはや伸びたどころではない。
整骨院で牽引されていたときも背筋は伸びたが、それよりも伸びた気がする。

自堕落でなまけ者の代表者のような自分には、彼女のどの言葉もが痛いくらいに突き刺さる。

ここだけの話だが……

詩人・茨木のり子の半生を描いた作品だ。
当然、小道具の中に原稿が出てくる。
演出部の方が丁寧に、原稿用紙一枚一枚に、彼女の作品を、手書きで書いてくださっている。

その原稿用紙を持って袖でスタンバイしている。
そのとき、フッとその作品を読んでしまう。
そのたびに
「あぁ、なんてステキな詩なんだろう」という思いと
「あぁ、なんて自分はダメな人間なんだろう」という思いが
同時に押し寄せてくる。
しかもその原稿は一つじゃない。
たくさん、たくさん、ある。
そして、いろんな作品を読むたびに胸のあちこちが痛む。

凛(りん)と生きた彼女と
それに触れるたび
沈(ちん)と沈(しず)んでいく自分

このように出番の前に必ず反省しているのだ。
とても芝居がやりにくい。


申し訳ない気持ちでいっぱいにもなるがせっかく出会えた作品だ。
目一杯演じさせてもらおうと思う。

 * * * * *

彼女の作品を知らない方のために一つだけ。
今回のお芝居には出てこない詩を紹介します。


『自分の感受性くらい』

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

 * * * * *

東京公演、お昼の回をお考えのお客様はお急ぎください。
かなり混み合ってきています。

お待ちしています。



では、また。