ども、優勝経験のない岡田達也です。
一昨日の演出家からのダメ出し。
「大きく言えば、緊張感が薄れてきてますね」
あぁ、そうなのか。
「最初の方は、開幕戦のような、ペナントレース序盤のような緊張感があったんですが、それが無くなっているというか」
なるほど。
回数を重ねているうちに、どこかで慣れてしまっているのかもな。
「残りステージはペナントレース終盤戦の、優勝争いしているような、そんな緊張感を持ってお願いします」
野球が好きな僕にはとてもわかりやすい例えだ。
「不安な部分もいくつか顔を出してきてますので、このあたりで一回締めておこうかな、と」
おおっ。
恐ろしや。
「では、細かい部分を……」
全員に丁寧なダメ出しが始まった。
* * * * *
芝居は変化する。
初日から千秋楽に向けて絶対に変化していく。
この「変化」がくせもので
良い意味では「進化」と呼べるものと
悪い意味では「一人歩き」と呼ばざるを得ないものがある。
もちろん、いろんな意味で進化は狙っていくべきだろう。
呼吸や、間や、音量や、タイミングや
精度を上げられるものは数限りなくある。
だけど、稽古で積み上げた芝居の本質は、絶対に失ってはいけない。
回数を重ねるうちに「胸を痛めて感じられていたもの」が「条件反射で感じられる」ようになってしまったりする。
これがセリフ以外の部分、つまり行間が失われている一例。
言い換えれば「一人歩き」し始めているパターン。
どれだけ気をつけていても所詮人間がやっていることだ。
良くも悪くも変化する。
そこで、こうやって客観的視点を持って指摘してもらえると、自分自身のネジを巻き直せる。
やはり“これを見せたい”という、しっかりした思いを持つ演出家の視点は大事にしなければならない。
* * * * *
そのような細かいダメ出しの後の一言がふるっていた。
「この作品は、もうみなさんの物ですから。好きにやってください」
この演出家、アメとムチが上手く使えてる。
残り3ステージ。
優勝争いのような舞台を。
……それってどんな舞台だ?
では、また。