ども、放蕩息子の岡田達也です。



この日記の読者の方は薄々気付いておられるだろう。
岡田達也の学生時代が、ちょっとばかりだらしなかったことを。

もう昔の話だしどんなふうにダメだったかを事細かに書いてもかまわないのだけど、現代社会は道徳観や倫理観に厳しい風潮にあるのでやめておく。
(どうしても知りたい方は一緒に飲みましょう。どれだけでも聞かせてあげます)

そんな私だが。
どれだけ遊び歩いても飲み歩いても、朝方にはちゃんと自宅に帰っていた。
まぁ、家が好きだったし、一応親に無事なところを見せておかなければ、という妙な義務感があったのだ。
(だとしたら朝帰りなどせず、夜ちゃんと就寝する姿を見せた方が良かったのではないか?)
電気など付けなくてもどこに何があるかは理解している。
親を起こさないように、真っ暗な中、手探りで家の中に入る努力をしていた。

しかし問題が一つ。
我が家の玄関はドアではなく、アルミサッシの横開きタイプだった。
このサッシ、どれだけゆっくりと静かにスライドしようが、どうしても「カラッ カラッ カラッ」という音がしてしまうのだ。
息を殺してソーッと開けようとするのだが、看護婦をやっていた母親は、いつなんどき非常事態がやってくるかもしれないという引き締まった神経の持ち主だったので、どんな小さな音も聞き逃すこともなく「おかえり。ところで何時だと思ってるの?」と二つ目の声を利用した(『嵐になるまで待って』参照)出迎えをしてくれていた。

ある時など、アルミサッシをソーッと開けようとすると、すでに玄関に仁王立ちしている母親の姿があった。
あの時は度肝を抜かれた。
本当に驚いた。


あぁ……
こんな話しが書きたかったわけではない。

昨日、場当たり(テクニカル・リハーサル)を行った。
久しぶりにサンシャイン劇場の舞台でセリフをしゃべった。

これだ。
この感覚だ。

「懐かしい、とても落ち着く、我が家の感覚」みたいなものを感じたのだ。
もう、とやかく言わなくても、自分の体がすべてを覚えている。
本当に身に染みている。
染み付いている。

で、フト思ったのだ。
「あー、ここは間違いなく我が家だな」と。
「だいぶ遊び歩いていたけどちゃんと帰宅したな」と。


* * * * *

本日『鍵泥棒のメソッド』初日です。
Blackです。
みんなが勘違いするようなのでもう一度念を押しておきますが、僕はBlackではなくWhiteです。
でも、Blackにもちょこっと出演します。

一人でも多くのかたにお会いできるのを楽しみにしています。
劇場でお待ちしています。



では、また。