ども、普段は嘘ばかりついているのにエイプリルフールには嘘をつけない岡田達也です。



母親の秀子さんは鳥取県の青谷町という小さな小さな集落の出身だ。
秀子さんの実家は典型的な農家で、野菜や二十世紀梨などを栽培して生計を立てていた。
わりと大きな家だったが、決して裕福とは言えない暮らしだったようだ。
おじいちゃんもおばあちゃんも画に描いたようにマジメな人で、口数も少なく、子供の僕から見ても慎ましやかな暮らしを営む実直な人たちだった。
秀子さんは7人兄妹の3番目。
「普通の農家で大家族だったからマジメに生きていくしかなかった。遊んでる余裕なんてどこにもなかった」
とよく言っていた。


小学校に上がり鳥取に引っ越した。
それまでは京都に住んでいたため、あまりおじいちゃんにもおばあちゃんにも会ったことがなかった。
が、引っ越しを機に、車で40分ほどの距離にある青谷へちょくちょく出掛けるようになった。

ある日。
青谷に出かけた。
詳しくは覚えていないが、母親がどこかに外出して、家の中には僕とおじいちゃんとおばあちゃん、そしておじさんとおばさんの5人だけだった。

子供の頃の僕はおしゃべりだった。
「たっちゃんがおしゃべりなのは、こうちゃん(僕の兄貴)がしゃべれないから、そのぶんもしゃべってるんだな」
と、親戚の叔父や叔母に言われて笑われていた。
決してそれが褒め言葉に聞こえたわけではない。
だけど。
子供心に「僕はしゃべった方が良いのかもしれない」と思ったのは事実だ。
残念だけど兄貴は死ぬまでしゃべることができないんだもんな。


おじいちゃんとおばあちゃんとおじさんとおばさんを前に、僕はいっぱいしゃべった。



では、また。