ども、学生気分を満喫した岡田達也です。



キャラメルボックスの稽古場がある中野に大学が新設された。
長い間空き地になっていて「何になるんだろう?」と思っていたのだが、明治大学、帝京平成大学、早稲田大学(ここだけは来年開校)と、3校もが同じ敷地内にひしめき合う状態になった。

で。
とある雑誌で「学生食堂が一般にも開放されている」という記事を読んだ。
ほーぅ。
学食か……、懐かしいな。
イメージとしては、安くて、美味くて、ボリュームがある、って感じだよな。

ちょっと行ってみるか。

* * * * *

僕が大阪芸術大学在学中、校内には
・第一食堂
・第二食堂
・塚本記念館の中にある喫茶店
・普通の喫茶店(名前を忘れた)
と、大きくわけて4箇所のメシどころがあったのだが、これらには見事に棲み分けがあった。

・塚本記念館
ここは綺麗で厳かだった。
何しろ学校創始者の名前が冠された記念館なのだ。
実際、お昼時にはパイプオルガンの演奏が流れるほどの高貴なお店だった。
お食事をされてる人はフルート、バイオリンなどのケースを持っている女子学生が多かった。
口数も少なく、お上品で、ワンピースにハイヒールといったスタイルが定番だった。
僕のような下々の者は緊張しすぎて味がわからなかった。

・喫茶店
ここは本当に普通のお店だった。
だから、やってくる学生も普通の生徒が多かったようだ。
故・フランキー堺先生(芸大の講師だったのですよ)が好きなお店だった。

・第一食堂
ここが花形の食堂だった。
芸大の表舞台で活躍する人たちはここに集った。
天窓があるせいで明るい日差しが差し込み、それだけでなく、学生たちの話し声も明るく、いつでも笑顔が絶えないところだった。
ちなみに劇団☆新感線のメンバーもここを中心にメシを食っていたそうだ。

・第二食堂
ここは暗黒の食堂だった。
「芸大のクズの集まり」「芸大の恥さらし者たちの集いの場所」「芸大の虎の穴」などと言われていた。
第一食堂のように日が入り込むこともなく、コンクリートに囲まれた、やや薄暗い食堂だった。
集まってくる学生たちのファッションも、ドテラ、裸にオーバーオール、なぜか何色ものペンキで汚れたTシャツ姿の男など、一筋縄ではいかない連中が多かった気がする。
ウソか本当か「シャブを買うならここへ行け」など、怪しげな噂が流れていたほどだ。
もっと低俗なものだと「二食に行くとカツアゲされる」というとんでもない噂まであった。

そして、僕は、この第二食堂の常連だった。

僕はクズでも恥さらしでもなかったし(と自分では思っている)、薬漬けだったわけでもない。
ましてやカツアゲしたこともされたこともない。
実に健全な学生だった。
それでも「第二食堂派」だった。
それは……。

……あぁ。
なんだか長くなった。
続きは明日書きます。



では、また。