ども、初めての通し稽古を終えた岡田達也です。



『容疑者χの献身』、全部で13シーンに分割して構成されている。
基本、通常の稽古ではそのシーンごとに稽古する。
「通し稽古」とは
名前そのままに全てのシーンを繋げてみること。
それだけの作業なのだ。
だが、これが、何とも説明しにくいのだけど、
ただただシーンが繋がるだけではないのだ。

自分が勝手に一人歩きを始める瞬間、でもある。

通常、芝居というヤツは
「このようにしゃべろう」
「こんなふう動いてみよう」
という
あくまでも本人の意思のコントロールによって進行される。
もちろん
それだけでは「自分の演技プランの発表会」になってしまうので
相手役と絡むことによって
独りよがりではない演技へと変化させていく。
ただ、そうは言っても
通常の稽古の場合
いろんな可能性を試しながらも
あくまでも自分の意識下のもとで演技は行われる。

が。
通し稽古というのはシーンが切れないため
(繋げるのだから当たり前だが)
「感情の積み重ね」という
通常の稽古では味わえないプラズαが加味される。
すると不思議なもので
「あ、ここは楽しいところでもあるんだ」
「へえ、こんな苦みを感じるんだ」
など
自分のコントロールではない部分で新たな感情が生み出される。

これが、通し稽古の醍醐味なのだ。
自分が、意識下から解き放たれ、勝手に気持が動いてくれる。

その宝物を発見したときの嬉しさと言ったら他にない。
ああいう瞬間に
「苦しい稽古を続けた甲斐があった」
と思う。
で、肝心なのが
その新たに発見した感情を再びなぞろうとするのではなく
それらは胸の奥にストックしておくだけでよい。
そうすればまた新たな発見に繋がる肥料となる。

昨日、いくつの発見があったか数えていたわけではないが
確実に見つけられたものはある。
と、勝手に信じている。
(まあ、それぐらいは言わせてね)

と、同時に
一番近くで芝居している近江谷さんも
常に絡んでいる小林さんも
発見の連続だったのではないか、と勝手に思っている。
本人たちと話したわけではないから確かなことは言えないけど
今まで見たこと無い表現がいっぱい見られたのだ。
それは共演者として嬉しいことで
また、こちらの新たな感情を生み出すための最高の原動力に繋がる。
(だからこちらもお返ししなければならないのだが)


昨日の通しは
全てが満足できるほどの出来ではなかったかもしれないが
それでいい。
このジャンプアップをあと3回(残りの通し稽古の回数)も狙えるのだ。

跳びますよ。



では、また。