ども、汗をかく岡田達也です。



ちょいと真面目な話だ。

『容疑者χの献身』、昨日から大きな稽古場に移動。
そこに本番さながらのセットが建てられた。
つまりは稽古終盤に差し掛かってきたことを意味する。
今は決められた動きを確認しながら一場ごとに復習を繰り返している状態。
明日には1回目の通し稽古を迎える。

当然、セリフは全て覚えていなければならない。

記憶に要する時間は若い頃に比べ格段に落ちてしまったが
それでも「セリフを覚えてしまってから苦労する」という経験はほとんど無い。
一度入れてしまったら、忘れることはない質だ。
だから
普段の稽古中はひっきりなしに台本を開くが
通し稽古中に台本を開くことはない。
始まってしまったら途中で台本を読み返してもしょうがないと思うし
全体の流れを観ている方がいろんな発見もできる。

だが、この芝居だけはそうはいかない。

初演のとき。
1回目の通し稽古を迎えても「セリフの定着度合い」に恐ろしいほどの不安を抱えていた。
僕は出番を終え引っ込むたびに台本を開き
次の登場シーンのセリフをずーっと確認していた。
そうせざるを得なかった。
不安で不安で、発語することがとても恐く
一度つまずくと立ち直れないのではないか、という恐怖と闘っていた。
後にも先にもそんな風に台本と首っ引き状態だったのはその時だけだ。

そして今回。
初演の経験値も加味して考えれば余裕があってもいいはずなのだ。

だが。
まったくそうはいかない。
いかせてくれない。

原因を追及するに。
・いつも口にしている成井さんの文体ではない
当たり前だが東野さん特有の言い回しであること。
・小説ならではの言葉の運びが見られる
やはり映画、テレビ、舞台、それぞれのジャンルで言葉の使われ方というのは変化する。
そして何より
・湯川学教授の頭が良すぎる
そのような設定なので仕方がないのだが、彼は不必要に頭が良い。
もう、そのような「頭が良い人」の論理の展開は
僕のような「頭の形だけが良い人間」には難しすぎる。

今、稽古場で長くセリフをしゃべるシーンが終わると
じっとりと全身に汗をかいている。
断っておくが今回の役、運動量はほとんど無い。
舞台上でAIスーツを着て跳んだり跳ねたりもしていない。
(『スケッチブック・ボイジャー』参照)
刀も振り回していない。
(キャラメルボックスの時代劇参照)
オマケに傘も振り回していない。
(『嵐になるまで待って』参照)
それなのに汗をかく。
50%は冷や汗、50%が昨日のアルコールなのだろうが
できることならかきたくない汗だ。

この汗が本番までに経ることが出来れば良いのだが……。

今、格闘している。
脳みそと、台本と、東野圭吾さんと、湯川くんと、近江谷さん演じる石神と。

くーっ!
疲れる!
しかし、その疲れが作品の出来に関わるのだ!
乞うご期待なのだ!



では、また。