ども、早くも行き詰まっている岡田達也です。



「頭がいい人」の役をやるのは一苦労だ。
それは
不細工なのにハンサムな役が回ってきたりとか
ハゲなのに花形満のような髪の毛フサフサの役が回ってくるのと同じで
根本的には持ち合わせていないものを埋めなければならないのだから大変に決まっている。
しかし、まあ、そこは演劇の七不思議で
やりようによっては何となく成立して見えてしまう。
早いとこ、その「やりよう」を見つけなければならず、四苦八苦の最中。

* * * * *

日常、自分が言葉を発語するとき
よほどデリケートな状態でない限りは
深く考えずにしゃべっているはずだ。
誰かと会話をしていて、一度頭の中で言葉を反芻してしゃべるなんてことはしないだろう。
大抵の場合、反射的に(またはそれに近いスピードで)
相手の言葉を聞き、それに対して発語する。
正確に言えば
恐ろしく短時間で思考回路は働いているのだろうが
傍目にはノータイムで言葉が生まれてるように見える。

ところが。
セリフというヤツは、非日常の極みとも言える作業を強要される

1 自分が話す言葉を記憶する
(これができなければ俳優さんにはなれない。噂だが、加藤昌史社長はこれが不可能で役者を諦めたとか)
2 相手のセリフも記憶する
(会話の順番があるから、当然相手役のセリフも覚えなければいけない)
3 何故、そんな言葉を発語するのか?の理由付けを自分で用意しなければならない
(ここの解釈が個人差の生まれるところで、面白さでもあるのだけど)
4 理由付けを用意するくせに、舞台上ではそれを捨てなければならない
(「その場で生みだすんだよ!」と多くの演出家が怒鳴っているのを見てきた。つまりは理由付けを用意しても、相手のセリフを聞いてから、その感情に持って行け、というようなことらしい。あらかじめ言い回しや感情が用意されたセリフというのは、一人で歌を歌っているのと大差ないようだ)

こうやってセリフのメカニズムを無理矢理言葉にしてみたが
キャラクターの色づけなどはここから先の作業であって
まあ、やらなければならないことは膨大に目の前に広がっている。

その作業を楽にするためにも
何とかセリフを日常会話に近いところまで操れるようになれればいいのに
なんてことを稽古をしながら思った。

まあ、長々と書いてきたが
早い話が「上手くいかんなー」的な愚痴である。

あ。
でも、決して後ろ向きな愚痴ではない。
こういう思考や、行ったり来たりの無駄な時間も、
芝居作りにおいては必ず役立つ。
道草も食えるときには食っておいた方がいい。



では、また。



自分が「とてつもなく頭がいい」なら何も問題はない。
堂々と演じていれば、おそらくはそこそこそう見えるだろう。