ども、くじ運は人並みの岡田達也です。



細かく比較したことはないがおそらく人並みだ。
生まれてこの方、最大の大当たりは年末ジャンボ宝くじの1等組違い賞。
あれは声が震えるほど驚いた。
が。
それ以外で見事なアタリを引き当てたことがない。
組違い賞で一生分の運を使い果たしたのかもしれない。
ま、でも、宝くじにはギャンブル性を感じるのでたまに購入する。
そう、あの、「もしかしたら……」という感じが好きで買う。

だけど。
おみくじは買わない。
子供の頃は買ってたけど大人になってからはすっかり買わなくなった。
「くじごときにオレの1年を左右されてたまるか!」ってなもんである。
ところが何を思ったか
今年の初詣ついでにおみくじを購入してしまった。
本当に「何となく」だ。
フラッと引き寄せられるように200円を払い
透明な箱の中から1枚の紙をつかみ取った。
人前ではさも達観しているかのように振る舞う自分だが
(もちろんそう見られてない場合も多い)
実際は煩悩の塊みたいな人間である。
あの、たった1枚の紙を選ぶのに、
「ああ、こっちかな?それともあっちかな?いや、これがよい気がする」など
指先から欲望が垂れ流しとなっているので
選択するのに時間がかかってしょうがない。
ま、それでもなんとか1枚を選び出した。

「小吉」

うーん。
うーん。
おみくじのことはよく知らないが
これは良くもなく悪くもなくといったところなのか?
さすがは「ザ・人並みこと岡田達也」と謳われただけのことはある。
(絶対に言われてないし言われたくもない)

しかし、だ。
後ろの細々した内容に目を通すと……。
良い!
かなり良い!
待ち人は来るわ
捜し物は見つかるわ
商売は繁盛するわ
お金は貯まるわ
何より
勝負事は勝てるらしい。
ええっ?
これで小吉なのか?
十分ではないか。

「おみくじなんかに左右されてたまるか!」
という姿勢はどこへやら
今年はこのおみくじを信じて生きようと心に決めた。
そうだよ。
信じる者は救われるのだよ。

今年の春くらいには消息不明になっていた父親が現れ
(鳥取に帰ればいるだろう)
夏には探していたダイヤモンドが畳の隙間から見つかり
(ダイヤモンドを持ってないし、そもそも我が家には畳がない)
秋には夢だった串カツ屋をオープンさせた途端に食べログで大評判になり
(運転資金はどこから捻出する予定だ?)
冬には有馬記念で大穴を当てるのだろう。
(オマエの財布に穴が空かないことを願おう)

うわ!
僕の2012年、すごいなー。
みなさま、乞うご期待です。



では、また。



追伸


学問が手に付かないので真面目に取り組みなさい

恋愛は再出発しなさい
この2つはどう解釈すれば……。