ども、札幌の気温を心配している岡田達也です。



やっぱり寒いんだろうなー。
札幌の方からメールが届く。
「楽しみにしてますよ!」
という文章の後に
「寒いですよ!」
と必ず引っ付いている。
覚悟していこう。
メールくださったみなさん、ありがとうございました。

* * * * *

身内を褒めるのは照れくさいが僕の母は働き者だと思う。
家にいてもジッとしていることがない。
台所に立っているか、庭の手入れをしているか、どこかを掃除しているか
そうでなければ趣味の機織りに精を出している。
居間に座ってジッとしているのはご飯を食べるときと夜寝る直前だけだ。
息子が言うのも何だがとてもエライ。
どうして僕は彼女の血よりも父親の血を濃く受け継いでしまったのだろう?といつも悩む。
(悩むな悩むな。血は半分ずつもらってる。100%おまえの努力不足だ)
その母が寝る前の貴重なジッと時間(変な造語だな)に面白い話をしてくれた。

母は昭和14年生まれ。
つまり今年で74歳。
だが、未だに現役で働いている。
若い頃から看護婦(本人がそう言うのであえてそう書かせてね)をやっていて
65歳で定年を迎えたのだが
「お給金は安くても良いから働いていたい。ジッとしているのは性に合わない。ボケ防止にもなるだろうし」
と介護の仕事を始めた。
介護の仕事はいつだって人手不足らしく受け入れてくれるところはいくらでもあるそうだ。
さすがに働くのは週の半分というペースだそうだがそれでも十分だと思う。
その職場でのことを少しだけ話してくれた。

最近、若い男性Sくん(26歳だったかな)が自分の部下として配属された。
部下というか、つまりは教育係を任されたということだろう。
それまで美容師をしていたSくんが今ひとつその世界の水に合わず
転職してきたのは半年ほど前。
それから少しずつ仕事を教えていったらしい。
そのSくん、いつの頃からか、何がきっかけかわからないが
母親のことを「親分」と呼び始めた。

「私、人生で「親分」なんて呼んだこともないし、呼ばれたこともない!」
と母はカラカラ笑いながら言う。

そりゃそうだろう。
任侠の世界か、はたまた職人さんか、
そうでなければ日常で親分と呼ばれることは滅多にないはずだ。
(あ、プロ野球界では亡くなった大沢監督が親分と呼ばれてたな)

「それがなんだか可笑しくてなー。私が何かやろうとすると「あ、えいですえいです!僕がやります、親分!」とか「親分、あれは終わっとりますかいな?」って言ってくるだが」

上司を捕まえて「親分」という言葉を選択する人も珍しいと思うが
Sくんは親愛を込めてそう呼び始めたのだろう。
なんだか愛嬌が感じられて良い感じだ。
くれぐれも断っておくが母は「親分肌」な人でもなければ「親分キャラ」でもない。
どちらかと言えば真逆の人だ。

「いいじゃない。そう呼ばせてあげれば」
「うん。イヤじゃないし、気分がええし」

そんな事が無くても母親は働き続けるだろうけど
そんな些細なことでも「楽しい」と思えることがあれば仕事にハリを与えたりするのではなかろうか?
そう思う。
実際、その話をしているときの母は良い笑顔で笑っていた。

遠くにいて何の役にも立たないバカ息子が言うのも気が引けるが
Sくんにはお礼を言いたい。
それと。
Sくん、親分からいっぱい仕事を教わってこの仕事が長く続くといいね。
頑張って。

……おまえもな。



では、また。