ども、外してしまった岡田達也です。




断っておく。

どーでもいい話である。

(そりゃ毎日のことだろうが)


僕は食い意地が張っている。

これが「僕は食い道楽である」と言えればまだちょっと救いがあるのだが

決してそうではない。

ただただ「食い意地が張っている」のだ。

満腹の時を除けば

脳内では「次、何食べよう?」と自問自答を繰り返している。

そう、四六時中だ。


昨日の昼食時もそうだった。

空腹を感じてから

「さーて、今から何を食べよう?」

と、際限なく幸せな想像を巡らせていた。


「幸せな」と書いたが

とてつもなく「真剣な」作業でもある。

一食にかける僕の情熱は芝居に対する熱よりやや高い。

(それはどうなんだ?)


昨日の場合。


「さーて、どうするかな?

今日は時間があるからノンビリ食べよう。

だからファーストフード系は削除するか?

でも、この間久しぶりに食べた『吉野家』は美味かったな。

今日も卵を少量の醤油で溶いて、七味をたっぷりふりかけ、紅ショウガをてんこ盛りにしてかき込むか?

あ、でも、丼と言えば『なか卯』の親子丼も久しく食べていないな。

あのとろっとろの卵が美味いんだよな。

あ、でも、ご飯と言えばその近所の『松屋』で新メニューが出てたな。

早いところ攻めておかないとダメだよな。

あれ?そもそも今日は米で良いのか?

麺類も捨てがたい気がするぞ。

とすると、あの『横浜家系』のこってり醤油に銀飯で決まりか。

あ、でも、チャリでひとっ走りして『天下一品』も捨てがたいな。

最近、ご無沙汰だもんな。

あ、でも、そもそもラーメンじゃなくてパスタも良いんでないかい?

あそこに『五右衛門』があるしな。

でも、パスタ屋さんで悩むんだよな。

クリーム系かトマトソース系か明太系か……。

幸せすぎて決めるのに苦労するからな。

あ、そうか!

あれも食べたいこれも食べたいと思うならバイキング

(未だにビュッフェという言葉に慣れなくてバイキングと言ってしまう)

にすれば悩むことはないよな。

あ、でも、近所になかったかな。

んじゃ新宿まで出掛けるか?

そいつはちょっと面倒だな。

やっぱり側で済ませたいかな。

ん?

「側」?

「そば」?

「蕎麦」?

そうか、そうか、蕎麦か。

よーし、今日の昼は『富士そば(東京の立ち食いそばの有名店)』にしてみよう!」


随分端折(はしょ)って書いたが、概ねこんな感じである。


ここまでは良い。

ここまでは“悩み”と良いながら

とても“幸せな”悩みだから。


問題は富士そばで一口、そばをすすった瞬間だった。


「あれ?オレが今食べたいのはそばじゃなかった……」


これ!

このかんじ!

理解していただけるだろうか?

共感してもらえないだろうか?


さんざん逡巡した挙げ句、巡り会ってみたら、自分の欲するものはこれではなかった!

という経験。

(決して、自分の彼氏や彼女や夫や妻の話では無い。

あくまで“食べ物”の話だ。

くれぐれも注意しておくが変なとこで膝を打たないで欲しい)


先ほども書いたが

僕の一食にかける情熱は芝居に負けない。

(だからそこは負けておけ)

外したくないのだ。

もしかすると日本代表のフォワードよりも外したくない気持ちは強いかもしれない。

それだけに外したときのショックは計り知れない。

精神的には一食を無駄にしてしまった気がする。

(もちろん、そばは美味しく頂きましたが)

こうなると「夜のご飯は死んでも外すもんか!」と気合いが増す。

すると悩む時間が増長する。

すると台本を読む時間が削られていく。

大変な悪循環である。


やはり芝居よりも食事の方が

ちょっとだけ

ほんのちょっとだけ

大事なのかもしれない。




では、また。




追伸


ちょっとだけですよ。