ども、日本全国の給食分布が知りたくなってきた岡田達也です。





たくさんのメール、ありがとうございました。

年代、地域性など、共通項が全くない地域で

同じスタイルでご飯を食べたという意見、

それに付随して牛乳は瓶かパックかという話など

興味深い意見が多かったです。

また給食について思い出したことがあったら書いてみようかな。


* * * * *


首藤さんと飲む。


お互いが芝居を始めた経緯などを話しているうちに

当時の大学の在り方みたいなところに話が飛んだ。

首藤さんは言った。

「芸大に進学する、っていう考えはまったく浮かばなかったな」

そうだろうと思う。


その当時

(もしかすると今も大差は無いのかもしれないけど)

大学の頂点に東大があり

京大、阪大、九大などが続き

早稲田、慶応などの東京六大学

または関西ならば関関同立に京産大

という至極真っ当な並びが出来上がっており

“頭の良い人から数えて何番目までの人はココ”

というかんじで進学するのが普通だったように思う。

工業系の大学

商業系の大学

芸術系の大学

などに進学する人は

よほど将来に明確な目的があるか

はたまた

ちょいと変わり者だったりとか

そんな感じでしたね、という話で盛り上がる。


首藤さんは言った。

「18歳で将来の事なんて決められなかったから。

だから関西大学に進んだんだ」


その話を聞いて思い出したことがある。


僕が中学の時

何処の高校に進学するべきか悩みに悩んでいたときだった。

母親が言った。

「14歳で将来の全てを見据えて進学先を決めるのは無理な話だと思う」

我が耳を疑った。

普通ならば

「しっかり考えて決めなさいよ!」

と、ハッパをかける場面ではないのか。


「できるだけ努力はして欲しいけど

もしも進んだ先が違ったら

そのときに考え直せばいい」


なんだか肩が軽くなって

僕はちょっとだけ憧れていた工業高校の建築家に進んだ。


今はご覧の通り、建築とは別世界で生きている。

それは僕自信も想像したことないような

まさかまさかの選択肢だったけど

あのときの母親の意見に沿った結果だよな、

なーんて思ってみたりもする。


人生はわからなくて

人生は面白い。





では、また。