ども、本番間近の岡田達也です。






昨日、セリフのスピードについて書いた。

今日はその続き。


ゆっくりやることが何故難しいのか?

については、昨日書いたとおり。

人間楽しくなるとスピードアップしてしまう。

そして

小劇場出身(もっと分類すれば1980年代~1990年代前半までに舞台を始めた人)

の俳優さんには早くしゃべれの教育が身体の隅々まで染み込んでいるから、と書いた。



次に。

「ゆっくりやる」に付随する「間を取る」という作業について。

こいつもまた難しい。


「え?なんで?

黙ってれば良いだけなんじゃないの?」

と思われるかもしれない。

うん。

確かにそうだ。

黙っていりゃ、それは立派な“間”だ。


だけど……。

テレビのように(あるいは映画のように)

その間を埋めてくれる“役者の表情”にカメラが寄ってくれてるならいい。

ところが舞台はそうはいかない。

最前列や桟敷席ならともかく

後方の席ともなれば顔の表情までは捉えきれないだろう。

つまり。

舞台上にいるとき表情で勝負しようと思っても無駄なことが多い(あくまで僕の持論)。


それから。


A 「千洋、どうしても行ってしまうのか?」

B 「うん、ごめんね達也さん」

A 「どうして?」

B 「……小多田くんのことを好きになってしまったの」


この最後の……の部分がいわゆる間なのだが

演じている本人としては

5秒開けようが10秒開けようが気持ちが籠もっているから成立しているような

そんな気分になってしまう。

(いや、実際に本人的には成立しているのだろう)

ところが観ている方は

「なんで長いこと黙っているんだ?

さっさとしゃべりなさい」

という事になるケースが往々にしてある。

それは、その間が、見ている側の想像を超えない場合に起きる事象だ(岡田達也調べ)。

つまり観ている側が

「うわ!次に何を言うんだろう?ドキドキする」

とか

「もしかして「なーんちゃって!」とか言いだして引っ繰り返るかも」

などの

“次のセリフはなーに?”

という楽しい状態になっていれば問題はないのだけど

それまでの

芝居の積み重ねだったり

関係性の構築だったり

が上手くいってない場合は

“何でもいいから早く進めてくれよ”

という最悪のケースになったりする。

これもまた役者にとっては恐怖なのだ。


よって

自分の芝居に自信がない場合などは

間違っても間を取ることはない(と思われる)。

逆に

ちゃんとお客さんを道連れに(?)できていれば

間というのは絶大な効果を発揮する。



こんな説明で伝わっただろうか?

いや。

そもそも伝える必要があったのだろうか?



ああ。

いっぱしの“間の使い手”になりたいもんだ……。






では、また。