ども、師走特有の準備を何もしていない岡田達也です。






大掃除、年賀状、買い出し、などなど……。

やらなきゃいけないことはいっぱいあるのに。

後で首が絞まってくることは分かっているのに。

でも、今はそれどころじゃない。




喪中の挨拶が届き始める。

この人たちに年賀状を送らないようにリストも作らなければならない。


そんなことを考えていると、フト思い出す子供の頃。



小学校6年生のとき、おじいちゃんが亡くなった。

大好きだったおじいちゃんには申し訳ないが

その年の暮れ

僕は年賀状を書かなくて済むことに

ちょっとホッとしていた。

印刷された喪中はがきを出せばいいのだ。

煩わしい年賀状の準備から解放される!


ところが……。


母親が言った。

「いいから、年賀状書きなさい」


えーっ!

なんでだよ!

喪中だぞ!

しかも無くなったのはお母さんのお父さんだぞ!

そんな罰当たりなことしていいのかよ!



中学2年生のとき、おばあちゃんが亡くなった。

少しだけ大人になった僕は

今年こそ年賀状を書かなくていいだろうと踏んでいた。

「あのときは小学生だったから

“子供扱い”で年賀状を書かされたけど

もう中学生なんだから大丈夫だろう」と。


ところが……。


母親は当然のように言った。

「いいから、年賀状を書きなさい」



そうなのだ。


それが母親の指針?

方針?

子育ての肝?

だったのだ。


喪中を軽んじている訳ではないだろうけど

とにかく彼女は年賀状を書かせた。


その後、母親とそのことについて議論したことはない。


今になって

なんとなく

なんとなくだけど

分かる気はする。


でも、やっぱり訊いてみたい。

「どうして書かせたの?」と。




今年、有り難いことに身内で無くなった人はいない。

年賀状の準備に取りかかろう。






では、また。