近頃の悲惨な事故 | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます

最近、何の罪もない人達が、信じられない事故に巻き込まれて命のを落とす事故が多発していますが

 

姓名判断的、被害者を調べてみて、そんなに悪い数値があるわけではない場合が多いのです、

 

それでは、何故かと言うと、他人を疑わない本当に良い人が多いのです、

 

例えば、交差点で信号待ちしているとします、待つ位置も、歩道で待っていても

 

此処なら、大丈夫と道路すれすれに立っていても大丈夫と思うのです、

 

でも、運転手が、チョット、よそ見をして来るかもしれないのに、信じて待っている

 

信号が青に成れば絶対に大丈夫と思い何の心配もせず渡る、

 

でも、どんな狂った人が突っ込んで来るかもしれないのに、信号守れば大丈夫と思う事態

 

都会病に、侵されているのです、

 

私は、少し前に都会の工事現場を観察したことが有りますが、ガードマンの指示に従えば

 

何の心配もないと、都会の人達は簡単に信じてしまう傾向が有り驚いた事が有ります、

 

田舎の人達は、上で作業をしていれば、ガードマンが安全ですと言っても、作業の真下には

 

絶対に入りません、遠回りをします、

 

人を信用するとかしないとかの問題ではなく、人間の危険予知能力の退化ではないかと

 

思うのです、

 

オカルト的に言えば、太古の昔は、人には、第三の目があると言われています、

 

テレパシー、危険予知など、本当に優れていたのではないかと思います、

 

都会の方と田舎の方は、そんなに年月も経過していないのに、危険予知が劣化しています、

 

私が見ても分かるのですから、太古の昔の方は相当優れていたのではないかと思います、

 

勿論、事故の巻き添えに遭われた方を誹謗中傷するわけではありません、

 

体の能力が落ちて、車の運転をせざるを得ないのは、分かりますが、

 

人に迷惑、危害を加えるのではないかと、思う気持ち、悲惨な事故を予見出来ない年寄が

 

一番危険です、

 

恐らく、ご家族、親族の方は、十二分に注意して止めていたのではないかかと思いますが

 

状況判断、社会的事情での諦めが大切な命を奪う結果に成ってしまったと思います、

 

私達は、第三の目を劣化させることなく、感を働かして、いきたいと思う者です。